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自分のためでなく、他人のために生きる

思い切りネガティブになる時がある。                               今まさにその時だ。

他人とうまく付き合えない。

会話が続かない。だいたいの人と気まずくなる。他人からも言われていたらしい。人伝えに聞いた。

「あいつは変わり者だ。会話にならん。」と。

自分でもわかっているけど、いざ他人に言われると傷つく。                  そして、さらに自信を失う。

最近、「大人の発達障害」というキーワードが注目された。                           おそらく僕も、受診すれば発達障害と診断されるだろう。

受診する気にはならない。受診しなくたってわかるから。

明らかに他人と違う。他人とうまく雑談をすることができない。

小学生のころから気づきはじめ、中学生のころに諦めた。               変わり者として生きていくしかない

コミュニケーション能力がない人間っていうのは、他人からバカにされる。

いつの時代にも、僕のことを嘲る人がいた。

そのトラウマは今でも残っているし、今でも深くなり続けている。

学生のころはまだ良かった。

毎日、夜中には自分が生まれてきた意味を考え、死後の世界を想像した。                 なんでもないのに涙が出て、親を呪ったこともあった。

それでもまだ若く、                                        将来はきっと希望がある、こんな僕でも光が差し込んでくるはずだ                

と心の奥深い部分で思っていた。

しかし、そんなことはなかった。

大人になっても、深海からは抜け出せず、光など差し込まない。                               深海魚として定められた運命だったのかもしれない。

相変わらず、他人との会話がうまくいかずバカにされる日々だった。

研修時代は、同僚から。                       入社してからは、上司から。                             上司になってからは、部下から。

そもそもコミュニケーション能力が必要な会社に入社したことが間違いだったのだ。

頑張ればどうにかなる。社会に揉まれればどうにかなる。

そう思って、がむしゃらに入社し、汗水垂らしたころが懐かしい。

時計を見ると、もう深夜だった。                                    深夜でも、一応睡眠薬を飲み、寝室へ向かった。

この人生で、数少ない宝石である妻と娘が眠っていた。                          せめて、この宝石たちだけは幸せにしてあげたい。                                           寝顔を見て、心の底から思った。                        僕はなぜ結婚したのだろう、なぜ産んだのだろう。幸せにできると思っていたのだろうか。

僕が契約した多額の生命保険が頭をよぎる。

次に、家族の笑顔が蘇った。

家族だけは、こんな僕を愛してくれた。僕が死んだら、多分とても悲しむのだろうな。

例え僕の心が壊れても、幸せを運んであげたい。                                                      一生笑顔でいて欲しい。                                   自分のためではなく、他人のために生きようと決めた。

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