「覚悟の論理」に影響受けたので、嫌な上司に主張してみた
独特な言い回しとSNSを活用した戦略で旋風を巻き起こし、東京都知事選において2位を獲得した石丸伸仁氏。
都知事選後のインタビューでも歯に衣着せぬ物言いで注目を集め、私も「なんだか面白そうな政治家だ」と一気に興味を惹かれてしまった。
そして、ふと書店で見かけて購入したのが、この石丸伸仁氏が著した「覚悟の論理」だった。
思えば僕ももう30代半ばであり、仕事も中間管理職を担うことになってしまった・・。
そんな僕がこの本を読み、主張すること、対話をすること、挑戦してみることへの勇気をいただけた。
そして、ちょうどタイムリーな出来事があった。
ほんの些細なことかもしれないけど、未熟で一歩が踏み出せなかった私としては大きな成長だった。
まあパワハラ系上司に反抗、いや主張をしたという話です。
1 パワハラ気味上司
いつもと同じように、その上司は文句を言ってきた。
「何であの時、こんなことしたんだ」
「こんなことしなけりゃよかったのに」
繰り返される結果論。
僕がどのように行動したとしても、後出しジャンケンならいくらでも言えることだ。
それが適正な指導であれば、素直に受け入れよう。
でも指導っていうのは、ネチネチ繰り返し何度も言うことだろうか?
これは明らかに「指導」ではなく、ただの「文句」だ。
そんな出来事が何度も続いていた。
部下や同僚も理解してくれていたし、「放っておけばいいよ」と何度かアドバイスを受けた。
それでも幾度となく後出しジャンケン口撃を浴びせられると、ムカムカとしてくるもんだ。
そんな時こそ、僕は「落ち着け。大人の対応だ。」と自身に言い聞かせて放っておくようにした。
2 怒りに支配される
ある日僕は、あまりの忙しさにとてもイライラしていた。
いろんな出来事が重なったタイミングだった。
例の上司が、いつも通り文句を言っていた。
それも僕の部下に対してだ。
その文句の内容といえば、その部下と僕が知恵を絞り出して考えた結果、これしかないと決めて行動に移したことに対するものだった。
あらゆる難題が降りかかり、その都度頭を悩ませている僕らが、なぜいつも「文句」を言われなければならないのか。「指導」であればまだしも。
僕はプチンときてしまった。
「おかしいだろ!」
と堰を切ったように怒りが吐き出てきた。
怒りに怒りまくった。
そして途中から自分でも何を言っているのか訳がわからなくなった。
完全に怒りに支配され、我を見失っていた。
スターウォーズが好きな人であれば、「ダークサイドに堕ちたアナキンスカイウォーカー」を想像していただければと思う。
怒りに堕ちた僕に対し、上司も面食らったのか、意味不明な主張で対抗してくるという、もはや外部から見たら中年男性同士の情けない口論でしかなかった。
結局、情けない中年同士の口論は他の上司、同僚らに止められ、終止符をうった。何の解決もせずモヤモヤ感だけが残る、何も生まれない口論であった。
3 覚悟を決める
その夜、怒りの余韻を残したまま、落ち着くこともできずなかなか寝付けなかった。
怒りに捉われて吹っ切ることができないなんて、何年ぶりだろうか。
ーそもそもなぜあんな怒ったのだろう。
ー言いたいことが何も言えなかった。
ーああ言えばよかった、こう言えばよかったのに。
怒りに支配されたことを後悔し、言いたいことを言えない自分が情けなかった。
絶対に自分の方が正しいはずだと思った。
言いたかったことが次から次へ思い浮かんでくる。
ふと声が聞こえてくる。
「やっぱりこれはおかしい」「これが正しい」と言い続けることに意味がある
「覚悟の論理」中に出てくるワンフレーズだった。おかしいことはおかしいと声を上げなければ何も変わらない。
明日もう一度、冷静になって上司と対話をしてみればいいんじゃないか
このまま引き下がるわけにはいかない。
ーなぜ「文句」ばかり言うのか
ーその文句は何の意味があって、どのような意図で言っているのか、何度も繰り返し言う必要があるのか
ーその文句は指導だと思っているのか、貴方にとって指導とは何だ
ー目的もなくただ文句ばかり言うのであれば、職場環境が悪化するだけだ
上司の意味のない愚痴や文句に対し、論理的に反論してみればいいじゃないか。
今日のような怒りに支配された不毛で醜い論争ではなく、大人としての対話だ。
おかしいことはおかしいと主張すればいいんだ。
そして、お互いがより良いと思える職場環境を作ればいいじゃないか。
口論ではなく、より良い職場環境を作るための対話だ。
このまま上司から文句や愚痴の言われ放しで仕事を続けてもストレスがたまり続けるだけだ。
一歩踏み出してやる、正統な主張をぶつけてやろう。
大丈夫、論理的に考えても確実にこちらの主張の方が正しい。
論理に勝るものはない。
このように僕は覚悟を決め、戦略を立てた。
全てこの本が背中を押してくれたことだった。
新たな決意で道が開けたことで、結局その日はすっと眠れた。
4 主張をぶつける
「〇〇さん、ちょっと今いいですか?昨日のことで話し合いましょう」
と、冷静に告げた。
「ん?ああ、いいよ」と若干驚いた様子も見せ、上司は返した。
僕たちは場所を変え、1対1で話せる環境を整えた。
すると、僕から呼び出したにも関わらず、なぜか上司から
「昨日は、こういう経緯であのような発言をしたんよ、別に悪気があるわけじゃないんよ。」
などと弁解じみたことを説明してきた。
ーん?なんか上司、焦ってるぞ
僕はそう直感し、冷静になった。
そして、昨夜から何度もイメージしたとおり、主張をぶつけた。論理的に。とても冷静に。
結果、上司の言い分はただの文句であったことを認め、その文句は何の生産性もなく、ただただ職場環境を悪化させるだけのものだと、お互いがそういう結論に至った。
上司は最後に謝罪までしてきた。
勝った
いや、勝ったとか負けたで考えるものではない。
これは対話であり、より良い結論を導くためのものだったのだから。
もし、上司の「文句」が仕事の成果を上げるために効果的なものだという納得できる説明ができたのなら、それはそれでこちらが受け入れるべきものだ。
上司は、その説明ができなかった。ただの文句だと認め、今後言葉には気を付けると約束してくれた。
このような結果は、勝敗で表すものではなく、より良い方向へ導くための対話できた、成功したと表すべきだと思った。
そして、今後注意しなければならないこともこの本から教わった。
それは、もし逆の立場になったとしても同じ主張ができるか、ということだ。
今回、「文句は何の意味もない、辞めるべきだ」と上司に主張したのであれば、僕は部下に対して文句を言ってはならない。
文句は何の意味もない、ただ職場環境の悪化を招くだけのものだと主張した僕が、自らその主張を崩壊させるような行為をしては一貫性に欠け、誰にも信用されなくなる。
「文句」ではなく「指導」をする。
職場環境を悪化させるような「文句」など厳に慎む。
何か言いたいことがあれば、主張し、対話をすれば良いのだ。
きっと成功できる。
この度の件で一歩踏み込んでよかった。
踏み込まず諦めていれば、きっと今後も対話ができない大人になっていたかもしれない。
「覚悟の論理」に影響され、一歩踏み出すことができた。
もしかしたら、著者が意図した思惑とは違った形で影響を受けているかもしれない笑
それでも僕にとっては、人生が少しでも良い方向に変わるきっかけを与えてくれた。
これから先、何度も読み返し、勇気をいただくことになるかもしれない。