新米パパ、0歳児との夜の戦い
0歳7か月の娘がいる。
第一子であり、可愛くて仕方がなく、僕なりに海よりも深い愛情を注いでいるつもりだ。
最近、娘は父である僕よりも母が大好きでたまらないみたいだ。
そのことが如実にわかるのが夜の寝かしつけだ。
育児に疲れ切っている母を少しでも早く寝かせてあげようと、母に飛びついてじゃれる娘を抱き上げ、僕の腕で眠りにつかせてあげようとした。
「うぎゃーーーーーーーーーーーーーーー。」
と、火がついたように泣き出し、なかなか泣き止まない。
なぜだ?一体どうしたんだ?もしかして熱でもあるのか?
あまりの変わりように、新米パパはうろたえるしかなかった。
ひたすらあやすが、泣き止むことはなく、この世の終わりかのように泣き叫ぶ娘を見て、僕も泣きたくなってきた。
「ねえ〇〇ちゃん、大丈夫かな?さっきまで元気だったのに。熱でもあるんかな。」
と、慌てて妻に問いかけるが、妻は至って冷静だ。
「仕方ないなあ、変わって。」
と、僕の腕の中で泣き叫ぶ娘をひょいと抱き上げる。
母の腕の中に収まった瞬間、娘はぴたりと泣き止んだのだ。
嘘だろ・・・。
始めの頃は、偶然だと思っていた。
しかし、何度も同じことが繰り返されるたび、偶然ではないことがわかった。
はっきり言って、思い当たる節はあった。
風呂に入れるのも妻
離乳食をあげるのも妻
一日中面倒を見るのも妻
僕はといえば、平日に仕事から帰ればクタクタで、オムツを変えることも億劫に感じてしまっていた。
僕が面倒を見るのは、せいぜい休日くらいだ。
そりゃ、娘も母の腕で寝たくなるよな。
そう思った。
それ以来、僕が寝かしつけようとしても、娘は嫌がって大泣きするようになり、結局寝かしつけも妻が行うようになった。
育児をほとんど一人で行う妻と何をしていいかわからずうろたえる夫という構図が出来上がり、夫婦の関係もギクシャクするようになってしまったのだ。
ある日、僕に衝撃が走った。
妻のママ友の旦那は僕の友人に当たるが、そいつから聞いた妻の陰口が発端だった。
ある程度は予想していた。妻が僕に不満があるのであろうことは。
当然だ。育児のほとんどを一人でこなしているのだ。
正確にいえば「独りで」が正しいのかもしれない。
友人はこう言った。
「あんたの奥さんも不満がたまっとるで」
「娘が泣いたら、すぐ諦めるって」
「寝かしつけもできずに、すぐにパスしてくるって」
「俺は赤ちゃんが泣いても諦めんかったけどな」
・・・・・・・・・・・・・・・・。
ある程度、そう思われているであろうことは予想していたが、いざその事実を告げられるとやはりショックだった。
それから何度か、寝かしつけチャレンジを実行したが、結局頓挫した。
夜中に僕が寝かしつけ抱っこをすると、火がついたように泣き出し、妻が抱くとピタリと泣き止む。
夫婦でここまで差が出るものなのか・・・。
子供というのは、父母共に無条件で同じレベルの愛情を抱いてくれるものだと思っていた。
しかし現実は違った。それはそうだ。
愛情を与えなければ、愛してくれるはずなどない。
友人の言葉が思い浮かぶ。
「俺は赤ちゃんが泣いても諦めなかったけどな」
次第に自分がパパとして新米であり、甘すぎる幻想を抱いていたことを自覚する。
パパになるということは決して甘いことではなかった。
戸籍上で言えば、子供が誕生すれば誰もが「父」という肩書きを得る。
しかし、それはただ単に戸籍上の話であって、真のパパではないと思い知る。
ある日、決意した。
「今日は寝かしつける。どんなに泣いたとしても寝かす。」
僕の娘に対する深い愛情を、娘に届けるための戦いだ。
どれだけ心の壁をつくられても、「母ちゃんに変われ!」と泣き叫ばれても。
今日は僕がどれだけ娘のことが大好きかをわかってもらって、僕の腕の中で寝てもらう。
そのような意味で、これは戦いだ。
夜、午後8時、戦いの火ぶたは切れらた。
娘が母にじゃれついて目をこすりつける姿を確認した。
目をこするのは、眠い時の合図だ。
「眠くなってきたよー。母ちゃん寝かせてよー。」と娘の心の声が聞こえた。
「今日は、父ちゃんが寝かしつけるよー」とあやしながら、娘を抱き上げた。
「・・・・。」
呆気にとられた娘の表情。その数十秒後。
「うぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。(何で父ちゃんなんだよ!母ちゃんがいいよーーーーー!)」
といつも通り、泣き始めた。
「大丈夫だよー」とあやしながら寝室を出て、妻の姿が見えない場所へ行く。
部屋を出る時、わずかに微笑んで、娘に手を振る妻の姿を見た。
「うぎゃー、うぎゃー」と泣きつく娘を抱っこしたまま歩く。
「大丈夫大丈夫」とあやしながら、ゆっくり振り子のように右へ左へと揺らしてあげる。
5分、10分と経っても、やはり泣き止まない。
子守歌も交えて寝かしつけにかかる。
「赤とんぼ」ものの10秒くらいで歌い終える。
「アホールニューワールド(アラジン)」キーが高すぎて声が出ない。
「千と千尋の神隠し」歌詞を忘れる。
結局、もののけ姫に落ち着いた。
が、娘は子守歌など眼中にない。
「母ちゃんはどこだ!母ちゃんを返せ!」
と言わんばかりに泣き叫び、右へ左へと体をよじる。
うす明かりで見える泣き顔も、それはそれで可愛いもんだ。
しかし、なごんでいる暇はなく、逃げたくなる心に鞭をうち、「大丈夫だよー。たまには父ちゃんと寝よー。」とあやし続ける。もののけ姫はもう止めておこう。
ここで、友人から教わった必殺技を繰り出した。
それは、スクワットである。
スクワットは、縦の大幅なリズムが心地よいのか、赤ちゃんの寝かしつけには効果が期待できるらしい。
風呂に入った後で汗をかくのが嫌だが、そうも言ってられない。
僕は必殺技を繰り出した。
一瞬の静寂。
「これは。もしかして。」
と思ったのも束の間、「うぎゃーー。(いいから早く母ちゃんにバトンタッチしてくれよー!)」と再び泣き始める。
心が折れそうになる。
しかし自分の娘への愛情はこんなもんじゃない、と体に鞭をうち、再びあやし続ける。
もう一時間は経ったんじゃないのか。
時計を見たわけでもないが、体感時間はその位だった。
その時
カクン、と娘の首が折れた。
そういえば、若干静かになっている。
まだ寝てはいないが、確実に眠気が来ている。
そう確信した。
娘がトロンとした目で一瞬僕を見上げる。
なんて可愛いんだろう。
娘よ、おやすみ。
ここで僕は、再び必殺スクワットを繰り出した。
しばらくして、コテンと娘は首を僕に預けて動かなくなり、体はとても温かかった。
とろけるような寝顔に、僕は魅入った。
僕の腕の中で、安心して眠ってくれている。
「産まれてきてくれてありがとう。」
心からそう思った。
音を立てないよう、静かに寝室へ戻った。
妻は横になっているが、起きているのか寝ているのかはわからなかった。
静かに娘を布団に下ろし、そのまま布団の上で寝かせ、しばらくスヤスヤと眠る娘と妻を眺めていた。
しばらくして、物音を立てぬようドアを開け、部屋を出て行こうとした。
ごそっと物音がして、振り返った。
妻が横になったまま、うっすら笑みを浮かべ、手を握り締めて親指を立てていた。
僕は静かにうなずき、そのまま部屋を出た。
ギクシャクした家族生活が、これで終止符を打つとは思えない。
しかし、確実に今日、僕たちは前進した。