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アスペルガーは常識人の夢を見るか?

「『 普通』なら分かるよね?」
「『 普通の人』ならこうする」
「『 普通』にしてくれればいいから」
こういった言葉をかけられる度私はすごく混乱させられる。しかし
「私にいわゆる『 普通』が分かるなら今こうして苦労していないんだけど」
なんて言えるはずもなく。
私は問う。「なるほど『普通』なんだね。しかし私はそれを初めて知ったから、どういった内容なのか教えてくれるかな?」すると返答はこうだ。
「え?こんなことも知らないの?さすがだな。キミは『普通とは違う』な。」
余計な一言が足された後、彼らは目の前にいる大きな赤子に諭す。諭してくれるならまだいい方。説教されたり、嘲笑の的になったり…
しかもその内容は彼らにとって「普通」のことだから、何れにせよしっかりとした内容を教わることはない。結局私が正確な知識を得ることはない。自分で調べなくてはならない。

―――だが私はこう問いたい。『普通』でいることにどれだけの価値がある?
『普通』だったらいいのか?いいとしたら何がいい?それはこんなに苦しんで『普通』になるほど価値のあるもの?
ある人はこの問いにこう答える。
「良い悪い以前に『当たり前』だ。つべこべ言わずにしろ。」
またある人はこう答える。
「社会不適合者め。そういう人間だからバカにされるんだよ」
これでは私にとって充分な解答とは到底言えない。
何故ならこれは私が求める
「『普通』を苦しんでまで求める理由」あるいは「『普通』であることのメリット」にはなりえないからだ。
「『当たり前』だからどうした?罰せられるのか?それとも己の良心を咎めるのか?
そもそも『当たり前』のことをしないことに何かデメリットがあるのか?芸術家は『当たり前』の事をしてたら売れるのか?違うだろう。」
「嘲笑される?良いだろう。どうせ嘲笑するような奴と交流する予定は無い。取捨選択だってできる。よって自分の周囲に私の『異常な』ところを嘲笑する人間はいない。そういった社会は形成されない。」

あと私は質問に「今までこうだったじゃん?」「こうだったでしょ?」「あなたもこう思うでしょ?」って言われるのが嫌いだ。
いや、それが分からないから聞いてるのに・・・。そういった考えを持ってればとっくのとうにしてるよ。質問を何だと思ってるんだろう。確認程度?

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