
紙に包むこと
画像は自分で簡易金封とよんでいる封筒タイプの金封。
あえて熨斗の位置に水引を貼っていますが、
結んでいないので熨斗代わりというわけでもない。
というのは私の理屈だけど。
横に渡した水引は浮いた状態なので、
ぽろっと取れてしまわないようにしっかり貼ってある。
御祝ごとなら熨斗は必須だが、
それ以外の場合は熨斗はもちろん熨斗代わりのものがくっついていると、
案外と使いづらい。
振込はもちろん電子決済の場面も随分増えたが、
現金のやり取りというのも結構あって(私の日常レベルでは)。
例えば、今でも御月謝は先生に手渡しするお稽古事とか、
些細な家の手直しをしてもらった際の謝礼とか。。。
対価というより謝礼的な要素が入ってくると、
むき出しの紙幣で渡すのは憚れるような気分になる。
封筒に入っているだけで「感じ」が変わるという事はあるわけで、
茶封筒に入っていたからといって中身の価値が下がるわけではないけれど、
やっぱりその場の雰囲気は変わるように思う。
私自身が、
そういう場面で「そういうふうに感じる世代」にはいっているだけなのだろう。
と、今突然思ったが。
思ったけれども、
たとえ封筒であっても、
誰かにお金を渡す時、
紙に包むという文化はなくなって欲しくない。
それは単に「丁寧」というようなことではなく、
日本のだいじなおおもとのようなものが含まれているような気がするから。

内側には半紙を仕込んでふた重にし、
半紙にだけ蝶々のエンボスを。
水引は金茶とベージュ。
遊印は蘭蝶とちび和。
表のエンボスは霞を使っています。
さて金曜日。
今週はどんな一週間でしたか?
なんだか随分暖かな日々で、
もう冬も終わったような気分になります。
お天気のよい日は、
既に山が霞んでいてぎょっとする。
既に様々な粉類も飛んでいる模様。
うららかな季節に向かってゆくのに、
身体的には防御態勢を強くしてゆかねばならないのはまことに遺憾。
今日もここに来てくださって
ほんとうに。。。ありがとうございます。
どうぞそれぞれに。。。
しあわせな週末でありますように。
藤井あき乃