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急増するクマによる人的被害について、聖書からその見解を考える。

 クマによる獣害のことを熊害と書いて(ゆうがい)と読むらしい。毎年、クマが冬眠をする前、11月〜12月頃になると農作物や飼育動物への熊害が多数報告されるが、今年度はクマが直接人間を襲う、人的被害の件数が統計開始以降、最多になったという報道がなされた。

クマによる人的被害 統計開始以降最多に 今年度17道府県160人
日本各地で相次いで報告されているクマによる被害。22日は岐阜県や山形県でけが人が出ました。クマに襲われてけがをするなど、被害にあった人の数をNHKがまとめたところ、今年度はこれまでに17の道府県で少なくとも160人にのぼり、国が統計を取り始めて以降、最も多かった3年前の158人を上回る被害となっていることがわかりました。(NHKニュース/2023年10月22日)

 聖書には、動物が人間に危害を加えた場合の対応に関するいくつかの具体的な記述がある。実際、古代イスラエルの法律や社会的規範は、こうした記述を元につくられており、古代のコミュニティで人間と動物の関係がどのように扱われていたかを示す貴重な資料となっている。例えば、出エジプト記には以下のように示されている。

もし牛が男または女を突いて殺すならば、その牛は必ず石で撃ち殺されなければならない。その肉は食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罪がない。牛がもし以前から突く癖があって、その持ち主が注意されても、これを守りおかなかったために、男または女を殺したならば、その牛は石で撃ち殺され、その持ち主もまた殺されなければならない(出エジプト記 21:28-29)

 こうした聖書箇所は、主に家畜による危害が発生した場合の責任と対処方法の考え方を示したものに過ぎず、野生の動物に対するものではない。また、この時代特有の文化的および社会的文脈に根ざしているので、現代の倫理観に直接適用することは難しいかもしれない。しかし、キリスト教における「動物」と「人間」の関係における責任と倫理を示す、非常に重要なテキストとして興味深いものを感じる。 
 話を元に戻そう。クマによる人的被害が増加する現在、被害が顕著な地域の猟友会や狩猟者団体が、駆除の為に日々出動を余儀なくされているものの、被害を大きく減らす決定打にはなり得ていないという。そればかりか、こうした害獣駆除について、カスタマーハラスメントとも取れるような激しい抗議の電話が行政に殺到している状況も生まれており、事態は混迷を極めている。

クマ駆除したら「税金泥棒」「役場を辞めろ」 大量クレームで業務に支障 「ご理解のお願い」は届くのか
全国でクマの被害が相次いでいる。人に危害を加えた個体はもちろん、人里に現れた場合は大半が駆除される。被害と駆除が増える中、対応した行政に大量の苦情が寄せられ、業務に支障が出るケースが出ている。行きすぎたクレームはなぜ生じるのか。クマの保護は必要だが、駆除はやむを得ない面もある。クマとの共生はどのような形が理想なのか。(東京新聞/2023年11月5日)

 キリスト教の慈しみや博愛の教えは、もちろん人間だけでなく動物に対しても優しさと配慮を示すことを奨励する。しかし、それはあくまで、動物との平和的共存という視点によるものであり、人間に危害を及ぼす害獣については、人間の責任においてしっかりと管理しなければならないことを聖書では示唆をしている。動物愛護にかこつけた憂さ晴らしのようなカスタマーハラスメントはもっての他である
 もちろん駆除などをせずとも、野生動物と共存、共生できる社会が出来る事を心から望む。近い将来、獣害などという言葉が無くなるように、我々が今できることを考えていきたい。

(text しづかまさのり)


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