チャーハンの男
土曜の昼は、いつもチャーハンだった。
冷凍ご飯に、冷蔵庫の隅っこで干からびかけたピーマンや玉ねぎ、賞味期限を2日過ぎたハムや卵、時には前日の残り物の冷えた唐揚げが刻まれて入ったりもした。
作るのは、「ちゃーちゃん」だ。
ちゃーちゃん。47歳、バツイチ。優しすぎるのが玉に瑕の、さえない中年男。ちゃーちゃんの「ちゃー」は、チャーハンの「ちゃー」。やる気はあるものの、からきし料理が下手なちゃーちゃんの、唯一の自信料理がチャーハンだった。
休日の気安さで、遅寝を決め込んでいると、台所から、ちゃーちゃんの鼻歌に混じって脂を炒めるいい匂いが漂ってくる。フライパンが五徳にぶつかるガタガタいう音が聞こえる。しばらくすると、ちゃーちゃんの声が誘う。
「さおりっち~、ご飯できたぞ~」
その声を合図に、寝ぼけ眼で布団から這い出る。幸せな昼下がり。
それがあの頃の毎週末だった。
※※※
ちゃーちゃんは「でもしか」公務員だ。同世代の男性たちは、商社だ銀行だと、バブル華やかなりしころ、派手な仕事に就いた世代なのに、こつこつ働くのが性に合うと、わざわざ公務員を選んだらしい。まじめなだけが取り柄で、地味。だからモテない。細すぎる体を、市役所の作業着に包んで、清掃車でごみ収集の仕事をしている。ちゃーちゃんの受け持ち区域は、いつも収集後の道路がきれいだと評判だった。
でも、その真面目さが、恋愛に関しては裏目に出る。言い寄ることもできないが、言い寄られても逃げてくる。優しすぎて、相手を自由にしすぎる。なんでも許してくれちゃうから、女はつい、その愛を試してしまいたくなる。わがままに振る舞いたくなる。優しさが空回りして、恋人を不安にさせるタイプの男なのだ。
不安にさせないで。
言われるたびにちゃーちゃんは、「なんで不安になるの?」と、不思議そうな顔をする。「あたしのこと好き?」と聞けば、「好きじゃなきゃ、一緒にいないでしょ」とハグしてくれる。「じゃ、証拠見せて」と駄々をこねると、「しょうがないなあ」とキスしてくれる。
でもね。欲しいのは約束なんだよ。
アラフィフのちゃーちゃんにとって、残りの人生は30年くらいかな。その人生を、誰と過ごすつもりなんだろう。
「さおりっち、残さず食べるんだよ」
いつまでも子供扱いするちゃーちゃん。ちゃーちゃんのチャーハンは、ちょっとだけしょっぱい。その塩辛さが、胸をきゅんとさせる。
※※※
ちゃーちゃんの家を出たのは、ちゃーちゃんが嫌いになったからじゃない。その逆だ。好きで好きで大好きで。でも埋められない気持ちが苦しくなったからだ。
だってちゃーちゃんは、いつまでたってもチャーハンしか作ってくれない。元妻に唯一ほめられたという自慢の料理を、一つ覚えのように、いつまでもいつまでも作り続ける。他の料理に目移りしない律義さは、元妻を超えられる女性など決して現れないことを暗示しているようで。だから、ちゃーちゃんのチャーハンはしょっぱいのだ。
※※※
ちゃーちゃんという呼び名が、実は元妻が付けたあだ名だったことは、後になって知った。
※※※
しばらくたって、ちゃーちゃんがどうしているかを、かつて互いに行きつけだったスナックに久しぶりに行った時、風のうわさに聞いた。
また振られちゃったよ。
ちゃーちゃんはそう言って、あははと照れ笑いしていたという。「だって俺はチャーハンの男だからなあ」って。金持ち男に乗り換えられたと言って、笑いを誘っていたという。お金で買える愛もあるのとうそぶいた、私の嘘をうのみにして。「やっぱり男はカイショーがないとダメなんだってさ」「しみったれた愛よりも、先立つものはお金。チャーハンより億ション」と、ダジャレにもならないセリフを言っておどけていたという。
ちゃーちゃん。分かってないよね。だから振られちゃうんだよ。
※※※
あれから2年がたった今も、時折ふと、鼻の奥に蘇る匂いの記憶がある。寝過ごした週末の昼下がり、あの油の焦げる香ばしい匂いが、ふっと眠りの隙間に差し込んでくる。懐かしい、ちゃーちゃんのチャーハンの匂いだ。
あのチャーハンが、もう一度、食べたい。あの焦がし油の、チャーハンが。
(完)(作・元沢賀南子)