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免許・資格を考えてみる。ついでにキャリアコンサルタントのことも。

今回は、資格や免許について考えてみたいと思います。

きっかけにしたのは、京都での白タクの問題を取り上げた記事が目についたことと、ある方がXで「資格ってなんだろう?」と呟いていたことです。

白タクは、事業者としての免許を取得せず違法に営業するタクシーのことをいいます。免許を取得した事業者の車両がつけるナンバープレートは緑色で、そうではない一般の車両は白色です。そのことから「白タク」という呼び方になっています。(意外と知らない人もいるので、豆知識としてお読みください)

では、この緑色のナンバープレートには、誰のどんな意図が込められているんでしょうか。

なんのための免許・資格なのか?

許認可を司るのは国土交通省で、基づく法律は道路運送法です。法律のWhyが書かれた第一条を引用します。

第一条
この法律は、貨物自動車運送事業法(平成元年法律第八十三号)と相まつて、道路運送事業の運営を適正かつ合理的なものとし、並びに道路運送の分野における利用者の需要の多様化及び高度化に的確に対応したサービスの円滑かつ確実な提供を促進することにより、輸送の安全を確保し、道路運送の利用者の利益の保護及びその利便の増進を図るとともに、道路運送の総合的な発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする。

https://laws.e-gov.go.jp/law/326AC0000000183

利用者側の目線で考えてみましょう。利用者が輸送サービスに必須要件として求めるものはなんでしょうか?僕は下のように考えます。

  1. 安全

  2. 利便性(移動の快適性)

  3. 利便性に応じた適正な価格

特に安全は大事ですね。プロ(免許保有者)に最も期待するところです。
逆に考えてみましょう。安全は何によって担保されるのでしょうか?輸送の場合、運転手の技能です。もらい事故をどう防ぐのかも含めて、運転手の技能です。
そのため、技能を担保するために輸送車両を運転する人は「二種免許」というただの運転免許(一種免許)とは違うものが要求されます。法律に則って事業を運営している会社のタクシー運転手は、当然、全員二種免許を持っています。

事業者には、運転手の技能が発揮されて利用者の安全が保たれることを運営する責任があります。
具体的には、運行管理者・整備管理者の設置、休憩所の設置などによって車両と運転手の状態を管理しなければなりません。

免許・資格は目的を果たしているか?

ところで、みなさんはタクシーの運転手は、自分よりも運転がうまいと思いますか?(=自分よりも安全に自動車を運転し目的地までたどり着ける)
僕は残念ながら全く思いません。

赤信号に変わる直前の交差点に平気で突っ込む、法定速度は守らない、交差点(ひどいときには横断歩道の上で)で客を乗せる・降ろす。やりたい放題です。
二種免許で担保される技能以前の、簡単な道路交通法すら遵守できていない運転で溢れかえっています。

つまり、上で書いた利用者が求めるものの一番目の条件をクリアしていません。安全性は失格です。

では、利便性はどうなのか?白タクが出てきてしまう背景には、サービス供給量の不足があります。
利用者の目線で見れば、安全性は免許の有無に依存しないと評価をする中で、白タクも緑タクも関係ないわけです。すぐに乗れたり、大きな荷物を乗せたりできる方を選択するでしょう。

価格面ではどうでしょうか。タクシーの価格は、法律によって地域ごとに価格範囲が決められています。つまり、同じサービスであれば一定の幅におさまる安心感は保証されています。白タクにはこれがありません(言い値になる、または価格交渉が必要)
ただ、私の実際の経験では免許をとった事業者でも、明らかな遠回りなどでメーターを稼ぐ運転に遭遇したことがあります(人生で3回)。
タクシー会社だとしても「変なことはしない」とは言い切れないです。

白タクを是認するつもりは全くありませんし、法律を軽んじるつもりも全くありませんが、法律に則った資格・免許がその意味合いを失った(と私が感じている)事例としてタクシーを取り上げました。

資格・免許に何を期待しているのか、何を期待されているのか?

タクシーの事例を通じて、資格・免許の目的やそこへのギャップを取り上げました。

  • タクシーでの事例

    • 利用者のニーズ: 安全に移動する

    • 免許・資格の応え: 二種免許によって技能を保証する+事業者が車両や運転手のマネジメントを行う

サービス提供を前提とした上で拡張して考えると、免許・資格=公的に認められたプロフェッショナル、という解釈になると思います。
ここでのプロフェッショナルは、「技能を有する」と「サービス提供に対価が必要」としましょう。

様々な免許や資格がありますし、自分自身がそれらを保有していることもあるでしょう。そして、自分が利用者になることもあるでしょう。
場合によっては、免許・資格を基盤とした事業を運営している立場の方もいるでしょう。

それぞれの立場から見たときに、免許・資格に期待すること、期待されることがあるかと思います。
また、論点を拡張するのであれば、免許・資格だけでなく「肩書き」も含めて考えてみると面白いと思います。たとえば、「部長」とか「プロジェクトリーダ」とかです。

キャリアコンサルタントという国家資格

ここからは、キャリアコンサルタントの資格を持っている方向けの内容です。それ以外の方たちは面白くないかもしれません。

キャリアコンサルタントに技能は期待されていない

振り返りですが、キャリアコンサルタントの法律上(職業能力開発促進法)の位置づけを明確にしましょう。

第三十条の三キャリアコンサルタントは、キャリアコンサルタントの名称を用いて、キャリアコンサルティングを行うことを業とする。

https://laws.e-gov.go.jp/law/344AC0000000064

「名称を用いて」がポイントであることはみなさんご承知おきのとおりです。キャリアコンサルティングそのものは、誰でも行うことができます。
前述のタクシーの例を引き合いに出せば、「サービスとして人を乗せて運転すること」は二種免許保有者のみが行えることです。これは、人の乗り降りなどを含めて安全に運転するためには特別な技能が必要であるから、という考え方が背景にあります。
キャリアコンサルティングの場合は、そうではありません。つまり、技能は論点になっていません。面談がうまいか下手かは問われていないです。
下手でも人を乗せていい(=キャリアコンサルティングを行っていい)となっています。

キャリアコンサルタントになるためには知識と技能について、一定水準以上が求められていますが、利用者側から見ると知識と技能の中身は理解できないものばかりです。
再びタクシーの例を引き合いに出せば、自動車運転についての技能は、自分とタクシー運転手とを比較可能ですが、キャリアコンサルティングにおいてはそういうことはできません。
つまり、利用者にはキャリアコンサルタントの技能を評価するすべは持ち合わせていません。
加えて、前述のように技能を担保する仕組み(国家試験・国家検定)があったとしても、それが明示的に利用者に対して発揮されている保証はありません。

Do well ではなく Be well

技能、すなわち”うまくやれる”が求められていないのであれば、キャリアコンサルタントには何が求められ、期待されているのでしょうか。

(義務)
第三十条の二十七キャリアコンサルタントは、キャリアコンサルタントの信用を傷つけ、又はキャリアコンサルタント全体の不名誉となるような行為をしてはならない。
2キャリアコンサルタントは、その業務に関して知り得た秘密を漏らし、又は盗用してはならない。キャリアコンサルタントでなくなつた後においても、同様とする。

https://laws.e-gov.go.jp/law/344AC0000000064

上記は、職業能力開発促進法の引用です。
実は、キャリアコンサルタントとしてすべきことを定めているのはここしかありません。
キャリアコンサルティングとはこういうことです、とかこういうことをしなさい、はいろんなところに書いてあります。

煎じ詰めれば、キャリアコンサルタントに期待されているのは「信用できる人間である」ということだけです。

技能は期待されていないが、人間性は期待されているということです。

つまり、Do well ではなく、Be well なのです。

結論としては、なんの面白くもないものになりましたが、こういった考えをしっかりと持ったうえで、キャリアコンサルタント倫理綱領を読むと、味わい深いものがあります。

よきキャリアコンサルタントであり続けましょう!

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