見出し画像

人生経営における"責任"とは

以前に書いた「責任を取るってなに?」

リマインドとしてリンクを載せておきます。
人生経営における責任について書きますよ、と宣言していたので今回書きたいと思います。

責任の定義

立場上当然負わなければならない任務義務。「引率者としての—がある」「—を果たす」
自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗損失による責めを負うこと。「事故の—をとる」「—転嫁
法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法行為をした者が法律上の制裁を受ける負担主要なものに民事責任刑事責任とがある。

デジタル大辞泉

辞書の意味は上のとおりです。2と3は責を負う、負わされるといった受け身的な内容です。
社会的・組織的な立場に対する責任としては、この受け身的な表現がされる「責任」の方が主たるものになりがちです。

一方で、自分の人生において、その状態や結果に対して誰かから責めを負うようなことはあるでしょうか?
法に触れるようなことをしたら、咎めを受けるのは当然ですが、それは人生の経営者としての責任ではありません。

人生において最も大事なステークホルダは自分

「責任」が発生する前提には、主体者とステークホルダが存在することがあります。
法的責任を例に挙げれば、法治国家の国民としての主体者、そして周囲の国民や社会といったステークホルダです。

では、人生においての主体者とステークホルダは誰でしょうか?
主体者は言うまでもなく「自分」ですが、ステークホルダも「自分」なのだと私は考えています。
行為の主体も、行為の結果も、両方とも自分です。

上述した責任の辞書的意味の1番目には「立場上当然負わなければならない任務や義務」とあります。人生経営の主体者である立場にある自分にとっての任務や義務は「自分が幸せと思える人生を生きること」です。
自分が自分に負っている義務、と言い換えて理解してもいいと思います。

人生経営の責任を取るとは「意思決定すること」と「その結果を負うこと」のふたつ

自分が幸せと思える人生を生きるための意思決定は、自分の義務です。これは他人に委ねてはいけません。
生まれた環境、生きていく環境はひとそれぞれですが、それぞれの環境の中で自分が幸せになるための行為の意思決定は自分で行わなければいけません。

キャリア発達に関する理論はいくつもありますが、その一つの潮流に「意思決定」を軸にした理論があります(GelattやHilton)。
ひとつの潮流になるぐらい、キャリアにとって意思決定は重要であることがわかります。

もう一つは、意思決定の結果を負うということです。
自分が行った意思決定の結果がどうなろうとも、その結果を受け入れて次の意思決定を行うことです。
「こんなはずじゃなかった」と嘆きたくなることもありますし、それを誰かのせいにしたくなることもあるでしょう。
しかし、人生の経営者たる自分には、結果を受け入れる責任があります。

責任というと重たく息苦しいものに感じてしまいますが、責任の裏にあるのは自由です。
自分の人生を、自分が思うように生きる自由が一人ひとりにはあります。
責任を取ることは自由を執行することの裏返しであると解釈し、よりよい人生になるように意思決定し、前に進んでいきましょう。

いいなと思ったら応援しよう!