真っ直ぐに生きて、空っぽになって音を感じる。【映画BLUE GIANT 感想】


映画 『BLUE GIANT』について

これは映画館で是非とも見て、いや聴いてほしい。
この映画の「気持ちよさ」は9割は音で出来ている。

登場人物の表情や言葉から、彼らの真意を考えたり、汲み取ったり、はたまた次の展開を予想することではなく、

この映画の登場人物の物語は、この映画の20%以上を占めているであろうライブシーンの、生の、音の連続に全てが集約されている。

だから僕たちは音を受ける。風を受けるのと同じ感覚で好きになる。

熱くて爽やか。

誰が見たって、聴いたって、登場人物の全てを、この物語を、そしてジャズを好きになる。

僕らは音でニヤけて、音で目を張って、そうして音で泣く。



愚かであることの尊さ。

主人公の大は、めちゃくちゃバカだ。

冬のクソ寒い夜でも外でひとりサックスを吹く。

東京に上京してまず探したのはサックスを吹ける場所。

クソ上手い、憧れるレベルのピアニストを見つけて、すぐ「俺と組んでくれ」と言う。

バンドにドラマーが必要な時に、ど素人の友達を連れてくる。

そいつが素人に毛が生えたくらいの状態のまま、初ライブをする。(しかも集客方法はビラ配りで、1人しか集客できなかった)


しかしこれらの愚行は全て、全て主人公の大と仲間である2人が、己の全てを吐き出して、最高の音を作り出すまでの過程となった。

音になればそれは物語になる。

逆に言うと音にならない限り物語にならない残酷な世界の中で彼らは生きている。


だから、自分のありのままを音にぶつける、理屈や戦略といった自分の外側にあるものを超えた、自分の内から直球で、行きたい方向にボールをぶん投げる。

これが結果として目標までの清々しいほどの一本道を描いている。

玉田も沢辺も、この大の直球と筋がなければ、ついていくことはなかっただろう。


愚かであり続ける。誰もできない一貫性の筋を通す。
己を見せることではない。己がやるか、やらないか。

これが大を自分が愛する所以。清々しく好き。


ここからは、音楽と自分、そして父親についての話を急に整理したくなった。


「どこまで行っても音楽が好きだから」


自分は音楽の家系に生まれた。

父は音楽に関係した仕事をしていて、いまだに、実家にはレコードが数百枚積み上げられている。

幼少期の家庭は貧しかった。代々木の1DKのボロアパートで、一家三人で暮らしていた。あとから知る話だが、自分が小学生の時、父の会社は2回潰れかかっていたらしい。


小さなライブハウスやバーに営業しに行ったり、ライブを見に行ったりで、常に出張を繰り返していた父。

当然ひとり息子である自分と顔をあわせる時間は極端に少なかった。
小学校に父親とどこかに行った記憶はほとんどない。


そんな中で自分が父親のことを一番感じられるのは音楽だった。


勉強中は、耳にタコができるくらいに聴いていた槇原敬之と小田和正、ユーミンのCDのかわりに、

彼が積み上げた、HouseやJazzのレコードを見よう見まねでかけて、開始位置がわからないまま回し続けるのが日常だった。


自分が中学に入ると、自分の音楽趣味は、小洒落た音楽に対する反動からか電波系、アニソンに傾倒していくようになった。

TSUTAYAでセカオワやbanvoxの音源をレンタルして、ipodに入れるためにmacbookを貸してと頼んだ時の父親は、流石に少しため息混じりだったのを今でも覚えている(家にはたくさんの名盤が眠っているというのに)。


自分が中高の間も、父が21時以前に家に帰ってくることはほとんどなく、趣味も合わなかったので、これといって何か会話することはほとんどなかった。

しかし、自分の足1本で立って、ひたすらCDを作り、売り、ライブをする父親の背中と、

そして時々家に流れるサンプル音源やCD、レコードやピアノの全てから、

自分は父親の生き様を体感していた。

(ある時父が、アーティストのライブに付き添うためにスロベニアのとある地域に行くと言って、その地域名で検索をかけたら「地雷に注意」と書いてあった時のことを思い出した)


そうして月日が経ち、私は大学に入る。

コロナで登校することもほぼなく、サークルも何となく入る気になれなかった。

大学のコミュニティは、誰かの手を強く引くほど面倒見が良くない。
そうして自分は瞬く間に孤独になった。


ある時、流石に友達を作ろうと、クラスの知人を2人だけ誘って、鎌倉の日帰り旅行に行ったことがある。

自分はとにかく引き攣った笑顔で会話をなんとか続けようとして、でも全然バイブスが合わず、とてつもなく疲弊して家に帰った。

リビングを見ると、自分も知っていたアーティストのとあるLPレコード版が立てかけられていて、傷心していた自分はそれを流してみることにした。

それがあまりにも美しく、熱くて、おしゃれで、まっすぐで、すっと心に入ってきて、自分は放心状態で1時間程度、普段は手放せないスマホを見ることもなく聴き入っていた。

普段から、ながらで聴いているはずの曲でも、一人でリビングで、自分で針を落とすと違って聴こえるのが、音楽の好きなところだ。


それから自分は、父親の守備範囲に近い、HouseやR&B、Jazzを少しずつ聴くようになり、少しずつ自分でアーティストを調べたり、Shazamで拾ったりして、自分なりのプレイリストを作るようになった。

これで少しは孤独に耐えられるようになった。


ある時、休日のリビングで自分がプレイリストを流していると、上から父親が降りてきて、「懐かしいな」と言ってきた。

え、と聞き返すと、「俺がクラブで聴いてた音楽だよ、青春だったなあ、不思議と全部覚えてるもんだよ」としみじみしていた。

そんな姿を見て、自分はハッとした。自分は父親の好みも、青春も、感情も知らなすぎている。


それから父とは数ヶ月に一回くらいサシで飲みに行くようになって、大学の様子や、自分の事業や就活の近況を教える代わりに、

父親の仕事のことや、過去のエピソード、好きな音楽やアーティスト、彼なりの名盤まで、彼のパーソナリティをちょこちょこ聞き出している。

50になった彼はもう事業的にはかなり成功し、ゴルフに精を出しながら楽しんで仕事をするようになった。

それでも自分の中の父親像は、あの時の、夜中、疲れた顔で帰ってきて、一人で音楽を楽しんでいる背中であることに変わりはない。


音楽はひとりである時、苦しい時、何もかもから離れた時でも寄り添ってくれる。


この前父と飲んだ際に、「なぜそんなに苦しかったのに会社を畳まなかったのか」と聞いた時の言葉が、最高に爽やかだったので、このnoteの小見出しにした。


終わりに

音楽にはたくさんの力がある。それを体で感じられる作品が本作です。

アマプラでもあるそうなので、ぜひ見てみてください。





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