多くを求めないようで、実は私に多くを求めていた夫
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長男トラがもうすぐ9歳、次男タツが半年ほどで7歳になる。
まだまだ目は離せないし親の手も必要とするが、とはいえやはり年々自分の時間を取り戻している感がある。
子育ては決して『あっという間』だとは感じないが、自分の50代や60代はすぐそこに感じる。
『忙しい時間が足りない』ばかりが頭を占めていた時期は過ぎつつあり、そろそろ自分で自分をエンターテインすることも考えられるようになってきた。持て余す時間が生まれることがあり、それが少しずつ増えるのだという実感もある。
それは夫も同じようで、住まいについて話すようになった。
夫の理想では、都内の狭いマンションではなく郊外の広い戸建てで、家族それぞれがそれぞれの部屋を持てるような家に住みたいそうだ。そしてそれは『老後』という遠い話ではなく、子供たちが学生のうちからできるならそういう生活がしたいと言う。
都心を離れる、というか友人たちから離れるのが嫌な私。それぞれの理想や想像について建設的に話した。
実際にいつ、どこへどのように住まいを移すのか、それはまだ今後相談しながら見出すしかないのだが、そんな話をしていて気付いたこと。
数年前の私には、子供たちが独立した後の夫と二人の生活は想像がつかず完全/不完全別居するつもりだったが、今考えると特に『別居』まではしなくてもいい、そんな気になっている。
夫は夫で趣味があり、私は私で仕事やら趣味やらがあり、居を同じくしようがしまいが、程よい距離を持って暮らせるんじゃないだろうか。日常的に喧嘩はするだろうが、日常的に共に過ごすことに楽しみを見出すこともできるんじゃないか。
人が変化すれば、心境も変化するものだ。
数年前から夫はえらく変わったが、当時の夫は、子供が生まれても変化がなかった。
私はと言えばもう、渦中も渦中。渦の中で翻弄されていた。
人生でいちばん忙しく、人生でいちばん辛く、そして目まぐるしい時期だった。
初めての赤ちゃんのお世話から、眠れない生活、何も思い通りにできない日々、片付けても片付けても途切れなく生まれるタスク、復帰後の分刻みのスケジュール、何もかもが中途半端に感じるワーキングマザー。
そしてふと隣を見ると、何も変わらない夫。
独身時代と同じように暮らし、好きな時に寝て起きて、好きなように働く夫。
自分の日々の忙しさが辛いというより、夫との不公平さが何より辛かった。
じゃあ私は、夫にどうして欲しいのだろう。
朝、子供と一緒に起きて欲しい。
子供と一緒にご飯を食べて欲しい。
子供を保育園に送って欲しい。
私の気持ちを害す言葉遣いをしないで欲しい。
自分のご飯は自分で作って欲しい。
子供と一緒にお風呂に入って欲しい。
週末は子供たち優先で一緒に過ごしてほしい。
寝かしつけを分担して欲しい。
子供を病院に連れて行って欲しい。
子供が熱を出した時、交代で仕事を休んで欲しい。
子供の保育園の準備をやって欲しい。
子供を着替えさせて欲しい。
やって欲しいことは後から後から思いついたのに、夫はなかなかやってくれなかった。
私が欲張り過ぎなのだろうか。私は多くを望み過ぎているのだろうか。だって、夫が私に望むことは・・・
ご飯を作ってくれること。
多分それくらいだ。
夫にも聞いてみる。
「私にどうして欲しい?」
「別に。何もないよ。」
彼は何も望まないのに、私ばかりが多くを望んでいるのか。彼は今の生活で十分幸せそうで、私ばかりが不服で、彼は何も文句を言わないのに、私ばかりがいつも文句を言っている。私はもしかして『平等』とか『公平』とかに過敏なのだろうか。
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夫婦サバイバル(ワーキングマザー編)
ごく普通の女が結婚して妊娠~出産。35歳で『ワーキングマザー』になりました。 それまで世の中知ったような気になっていたけど、実は何も知らな…
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