【withばあちゃん】#3 教えは生き続ける。
読み終わりました。
じんわりと、言葉にしきれない思いがうずうずしていますが、とにかく「ばあちゃんとの思い出を書いていこう。」という気持ちは続いております。
生きるとは、「ありたい自分を選ぶこと」だ。
本を最後まで読んで、自然と涙がこぼれた一文でした。
ばあちゃんは昭和初期生まれの人でした。ありたい自分を選ぶなんて、到底考えたこともなかった世代だったろうと思います。
老人性痴呆が進んでいき、自分が何者かわからなくなってくる。体が思い通りに動かなくなり、自分のやりたいことができなくなってくる。
識字もできない人でした。日常会話はもちろんできますが、多分、学習言語としての言葉数は少なく、体も意識も「自分らしさ」から離れていくと、自分が何を求め、何を訴えたいのかも判らなくなっていたのでは、と、今になって振り返っています。
「明日起きてたら死んでてくれたらいいのに」が、ばあちゃんの口癖でした。
それでも、晩年までよく飲みよく食べ、動けるうちはできるだけ動きたい。「足が悪くなって動けなくなったら、みんなに迷惑かけるから。」としょっちゅう家の中をウロウロしているばあちゃんでもありました。
「ばあちゃんが外に出ると、いつも晴れるんだ。」
これもまた、ばあちゃんの口癖のひとつでした。
曰く、「ばあちゃんが車に乗ってるときは大雨が降っていても、車から降りると止むんだ。」と。
ほんまかい。と子ども心に思ったものでした。
だって、母娘三代揃って出かけるとき、大抵雨だもの。
女三代ドクターフィッシュ。この日も雨でした。
思い返せば確かに、移動中は大雨でも降りると小止みになる、ということはあったように思います。
「いっつも、『じいちゃんありがとう』って言うんだ。」
ばあちゃんは実の父(ばあちゃんの父ちゃん=母方曽祖父)が好きだったそうです。曽祖父とは二、三度しか会ったことがありませんでしたが、ばあちゃんから聞くひいじいちゃんの話は「優しい、料理が上手、優しい」と、いい人サンドイッチでした。記憶を掘り返せば、いつ見ても、黒目が見えないくらいのほほ笑み具合だったように思います。
ばあちゃんは、自宅で住んでいたときは毎日朝陽に向かって手を合わせていました。私たちと同居するようになってからは、散歩のたびに近所の神社へ立ち寄り、孫の健康を祈って手を合わせました。信心深い人だったのかはわかりませんが、とにかく「手を合わせる」「見えない何か(特にひいじいじゃん?)」に語りかけている場面は多かったように思います。「みんなを守ってください、お願いします。」と「ありがとう」という言葉を、手を合わせてはつぶやいていました。
ばあちゃんが亡くなった日。
現在、私は日本から離れて生活をしています。ばあちゃんが寝たきり状態になったこと、そのまま早い段階で亡くなったこと、通夜から葬儀まで、一切現場にいることはできませんでした。ばあちゃんの死に目どころか、親の死に目にも会えない覚悟で日本を離れることを選びましたから、亡くなったことを受け入れることも、家族親族に葬儀の手配すべてをお願いすることも、申し訳ない・ありがとう、とは思いつつ、受け入れることができていました。
それでも、時間が経つにつれ、「やっぱり自分の目で看取りたかった」という気持ちはムクムクと湧いてきました。
今、私はばあちゃんに向けての懺悔のように、ばあちゃんとの思い出を書いています。
「ばあちゃんありがとう。」と、手を合わせる。
女三代のうち、誰かが強烈な雨女だと確信している私ですが、どーも、多分、私が強烈な雨女っぽいです。大事な用事の日、しかも外に出る日に限って、恐ろしい大雨を降らせます。小規模なものは数知れず、大規模案件も2/2回降らすコンプリートぶり。
先日も(先日のは最初から雨だってわかっていたので、私のせいじゃないって言いたいのですが)雨の中外へ出なければならない事案があり。
一日中降り続ける雨、どーにかならんかと思っておりました。
すると、車で移動中は大雨に降られても、外に出ると「ギリギリ小雨!」くらいになり、行程の終盤では、晴れ間が見える場面もありました。
「これは『ばあちゃんありがとう』って言っとかなきゃ」と、薄雲から垣間見える太陽に向かって自然に手を合わせました。それ以外にも、日本から離れた地で「ばあちゃんぽい人」を見かけるたび「お? ばあちゃんこっち来た?」と思うことがあります。
服装がgiống(similar)ばあちゃんだった人。こっそりカメラを向けてしまいました。
教えは生き続ける。
自分の人生で一番長いひとり暮らしをしながら(人生初のひとり暮らしが海外)「私の行動、ばあちゃんっぽいぞ。」と改めて気づくことがいくつかありました。
例えば、「流しはいつもきれいに(シンクに洗い物を残さない)」や「水まわりの拭きあげ徹底」「鞄の中が整理されてる」など。
私自身は「モノグサ・オブ・ザ・ワールド」だと思っているのですが、多分モノグサには振れ幅があって、きちんと整えたいところは徹底して整えたいタイプなのでは、と自己分析しています。
水まわりに関しては、子どもの頃からばあちゃんの姿を見てきましたから、自分の中で自然に、ばあちゃんの癖が生きていったのだろうと思います。
ひとりで食事を作り、ひとりで食べ、汚れた食器は即洗う。自分ひとりの暮らしであっても、流しに食器が放置されてると嫌な気分になる。ひとり暮らしをするまでは気づかなかったことでした。ばあちゃんがいつも、すぐに食器を洗ってくれて、なんならシンクの中まで拭きあげる。「門前の小僧」ではないですが、自然とばあちゃんの癖や行動を受け継いでいってるのだなと感じた出来事でした。
祈る、感謝する、住みやすく身綺麗にする。言葉だけではないばあちゃんの教えは、気づかぬうちに私の中で醸成されていました。
私が自分の子や孫に、ばあちゃんのことを伝えられる機会は、今のところありません。
直系家族(NASA基準では「配偶者・子ども・子供の配偶者/幡野さん著書より引用)に伝えられない分、インターネットの大海原や実際に出会った人などに向けて、「教える系職業婦人」として「ばあちゃんの教え」を伝えたい。そう思って、【withばあちゃん】を始めたのかなぁ、とぼんやり思っています。