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【withばあちゃん】#2 健食ばあちゃん。

幡野さんご本人にRTされておりました。

若干の酩酊状態でつぶやいただけですのに。ありがたいことです。
改めて読み返しても中身のないつぶやきですが、本はじっくり噛みしめるように拝読しております。紙の本は買えない状況ですが、kindle持ってても、紙版で買うと思います。

withばあちゃんシリーズ。

「ばあちゃんとの日々を、誰に読まれなくてもいいので、書き残しておきたくなった。」
幡野さんの本を読んで、何となーくそう思っただけなのですが、何でそう思ったのか、未だに言語化できていません。
ただただつらつらと、読まれても読まれなくてもいいから、インターネットの大海原に、ばあちゃんの思い出を流したくなりました。
【withばあちゃん】と題して、友人限定公開のSNS上では数年前から書いておりましたが、改めて、ばあちゃんのこと、ばあちゃんから教わったこと、不定期にまとめていこうと思います。お暇なら見てよね。

健食ばあちゃん。

ばあちゃんと「食」は切り離せない関係です。終盤15年、ばあちゃんの胃袋は私が握っていたと言っても過言ではありません。
散歩と称しては近所のカフェや食事処へ連れ歩き、いろいろ食べました。いわゆる「老人性痴呆」で、私のことが判らなくなっても、「麗ちゃん(ワタシ仮名)」と名前を読んだ後には「ご飯行くの?」というフレーズがセットになってついてきました。
うちの母曰く「私(弊オカン)より麗子の方をよく覚えてる」とのこと。
胃袋と記憶は強く結びつくようです。実際胃袋掴んでたのは、地元の美味しいご飯屋さんでしたが。

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とにかく「残さない」

昭和初期生まれのばあちゃん。「出されたものはすべていただく」がモットーの人でした。大食漢、というわけではないですが、とにかくよく食べました。終盤2年ほどはグループホームでお世話になりましたが、それまでは自宅介護。言うても、ほとんど手間のかからないばあちゃんでした。三食出された食事はすべて完食。自宅住まいでデイサービス利用をしていたときも、いただく日報の食事欄は「10/10」の完食。「恍惚の人」になる前からたまーにやってましたが、「皿まで舐め尽くす」ばあちゃんでした。食べ終わった皿を持ち上げてべろんと舐め尽くす。地元の方言で「ねぶる」と言いますが、まさにその表現がぴったりなばあちゃんでした。残ったパスタソースとかね。実際美味しいものね。
「皿まで舐めるスタイル」は、地味に洗い物の負荷軽減にもなっていて。不恰好ではあるものの、残さずきれいに食べ切るというばあちゃんスタイル、ひとり暮らしをする今の私も、たまーにやってます。皿に残ったパスタソースが美味しいんだもの。

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手タレばあちゃん。

ばあちゃんとの日々をSNSに上げるようになってから、写真は自然と「手タレばあちゃん」になりました。そして、ばあちゃんファンが地元に増えました。基本的に「自分が食べたいところ」へばあちゃんを連れていくので、ばあちゃんも自然と常連になっていきます。私が一人でお店へ出向いたときも「おばあちゃんは元気?」と常連さんやマスターが尋ねてくださるようになりました。

ずっとお散歩。

散歩が好きで、私が小さい頃からよく二人で歩きました。私が子どもの頃は、ばあちゃんと散歩をするたびに、ばあちゃんがジュースを買ってくれたり、途中立ち寄った本屋でマンガを買ってもらったりしました。私が大人になってからは、ばあちゃんと散歩に行くたびに、カフェに行ったりご飯に行ったり。私が運転をして、温泉に連れて行ったこともありました。

かつて私がばあちゃんにしてもらったことを、大人になっても続けられる。義務感でも何でもなく、ただ「ばあちゃんと美味しいものを食べたい」「ばあちゃんを楽しいところに連れていきたい」そういう気持ちで、休日ばあちゃんと過ごすことが多かったです。
ひとりで散歩するのも好きだったばあちゃん、知らないうちに自分で常連店を作っていて。驚いたこともありました。

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お酒は嗜む程度でしたが、意外にコーヒーはブラック派でした。ザラメ(ブラウンシュガー)の砂糖が好きで、オシャレなカフェで「キザラ(黄ザラ?/ザラメのばあちゃんスラング)」が出ると喜んでコーヒーに入れていました。
孫は未だにカフェラテ派です。

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