Noizeだらけの世界で。
オザケンがNoizeという新曲を発表したので、
ノイズについて、自分が思うところを書いてみたい。
ノイズという言葉を聞くと、
音に関するノイズをイメージすることが多いと思うけれど
最近は色のノイズについてよく考えている
アイフォンの画面には、鮮やかで魅力的な彩りで溢れていて
有名な建築物や絵画、風景なんかが美しく映し出されている
オザケンがエッセイでも書いていたように
携帯の液晶画面は、赤緑青の液体が入っているもので
その彩りは人間が目で見える範囲と比べて随分と限られてしまうらしい
普段毎日見ている携帯の画面だけれど
こういう話を聞くと、いかに自分が現実を見ていないかと気付かされる
色のノイズということを考えるとき
人間が本来見える色合いを削ぎ落としてしまっている
携帯電話の液晶の色は、ノイズではないかなと思ったりする
つまり、本当に目の前で見たときに感じる色が
自然なものであり、液晶を通じてみることによって
それが制限されてしまったとしたら、ノイズと言えるかもしれない
そんなことを思ったので、
ここ数日はアイフォンの色を白黒にしてみている
数日しか経っていないけれども
随分と頭の中がスッキリして、散歩して見える景色が
随分と鮮やかに、心にぐっと染み込んでくるような感覚がある
自分がいかに色のノイズに触れていたのか気付かされた気もする
ただただ!
じゃあスマホの液晶が悪で、肉眼が正義がと言われると
それも違う気がしていて
スマホの液晶があるから、こんな話を考えられた訳で
そういう意味では悪いことでもないと思う
いいことが悪くなったり
悪いことがいいことになったり
生きている中で価値観っていうのは、流動的で、固定されない
そんなことをノイズを聴きながら考えたりしたのです