「ある光」に照らされて。
人生の節目節目に聴く音楽はありますか?
そんな音楽を持っている人は、少なくないと思う。山下達郎さんも、落ち込んだりした時に、聴く音楽があるという話をラジオでしていた。
生きていく中で、何かの問題にぶち当たった時に、思わず聴いてしまう音楽。
自分にとってそれは、オザケンの「ある光」。
この曲はは外せない。何度も道標になった。
「ある光」は、オザケンが、ニューヨークに旅立つ前、29歳の時に発表した楽曲。
当時ヒットチャートから少しずつ遠ざかり、日本の音楽業界に疲れてしまったオザケンは、この次のシングルを最後に、ニューヨークへ渡った。
「ある光」は、繰り返されるサビが印象的だ。
この曲を初めて聴いたときは、会社に入って、数年した頃だと記憶している。
夢いっぱいの学生時代から一変、現実の中で齷齪していた。その時に、この曲をよく聴いていた。
悩んでいることから逃げないで、自分を慰めて終わらないように、色々なことを考えた。
一見すると、この曲は暗い曲のように思える。
けれども、「ある光」が光として存在するには、暗い部分、闇の部分は避けて通れない。光があるから陰があり、陰があるから、光がある。その陰の部分と向き合うから、「ある光」に出会うことができるのだろう。
これから先の人生でも、折あることに、「ある光」を聴くことになると思う。
「ある光」という楽曲が、闇夜に迷い込んだ自分の道標となってくれたように、自分も誰かにとっての「ある光」となり、誰かの支えになりたい。そんなことを思うのだ。