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『意識高い系』や『変わってる』といわれてモヤモヤしているあなたへ#WORKING FOREVER16

こんにちは!WORKING FOREVERコラム担当の、Yumi*です。#生涯現役、#自分らしく、イキイキと『#しごと』をしている方のエピソードや考え方、その他諸々の出来事や感じたことを徒然なるままに更新しています。新型コロナウイルス感染症に罹患された皆さま、および関係者の皆さまに、謹んでお見舞い申し上げます。

今回はちょっとモヤモヤする言葉に対する3つの自己対処の方法について。ひとの気持ちが敏感に読み取れてしまう方、自己評価が他人軸によりつつあってモヤモヤしている方の心のバンドエイドになれば嬉しいです。

喉に小骨が引っ掛かった気分から抜け出せないキラーワード

さて、『意識高い系』っていう言葉を聞いたことや使ったことはありますか?私は『意識高い系』と言う言葉に大学に入学してから初めて出会いました。一見、誰かの意識の高さを誉めるようにも聞こえる一方で、『系』という一文字がついたことで相手を揶揄するような響きがあることも否めません。他にも『変わってる』とか、『キャラが濃い』など、人によって感じとる印象がポジティブにもネガティブにもなる言葉ってたくさんあると思うんです。

私はいわゆる『意識が高い系』『キャラが濃い』とされるジャンルに属していると判断されることがたまにあるのですが、自己紹介したときに急に『私の許容フィールド外の人!』と、心理的なシャットアウトされてしまうことがあるんです。

私は鈍感でありながらも、一方で人の心の揺れとか思考が見えてしまう直感のようなものもよく働いてしまうんですよね。本業では営業として働いているし、おそらく外からみると、社交的で元気ハツラツな感じではあるけれど、じつは自分の殻のなかにはいくらでも潜れてとっても内省的なんです。だから『あ、いま距離を置かれたな』とかも自然に感じ取ってしまって『私って受け入れられてないのかも。私って変なのかな、よくないのかな』ってネガティブになってしまうことがよくあるんです。

このモヤモヤ、大学を卒業して社会人になって4年目のいまでもたまに感じてしまうことがあります。

私みたいな人、他にも実はいらっしゃるんじゃないかなって思います。

心がちょっと軽くなる自己対処の処方箋

そもそもそういう曖昧で、誉め言葉にも刃にもなる言葉自体が無くなればいいのに、とは思うのですがそんなに簡単にはいきませんよね。しかもそういう言葉って使い勝手もいいし、自分自身もふいにポロッと使ってしまっていることもあったりします。

そこで心の処方箋として、心がけていること3つ紹介します。これは私が七転八倒してたどり着けた現時点での私なりの結論と、人生の先輩方からのアドバイスです。

1.まず、自分は使わないようにする。私自身が人と向き合うときの姿勢を見直す。

2.その人と今どう付き合うのか、冷静に距離感を考えてみる。

3.自分の存在価値を決めるのは最後は自分でいい。結局、他人は他人。

1.まず、自分は使わないようにする。私自身が人と向き合うときの姿勢を見直す。

私は自分が言われて傷ついた言葉はなるべく自分が使わないようにしています。難しいことではあるけれど『フラット』に目の前の人と向き合えるように意識することで揶揄するような言葉の使い方ってしなくなるんじゃないかな、と。
語彙力が乏しいと思うなら本を読むといいみたいです。特に小説。今読みたい!というものを選んでみてはいかがでしょうか?
幼い表現やストレートすぎる表現であっても、話し言葉は伝え方や表情で印象は変えられるはず。誰かの言葉で傷ついたかもしれないけれど、方向転換することでより深みのある人になるための一歩にもなります。

2.その人と今どう付き合うのか、冷静に距離感を考えてみる。

あなたに対してその言葉を放った人、今後ガッツリ深く付き合う必要のある人なのでしょうか?
あなたを取り巻く環境次第ではあると思いますが、その人との距離感やコミュニケーションのやり方を決めるのはあなた自身でもできるはず。現場でのコントロールが難しいなら、ガス抜きの方法を知ること。ここでおすすめなのはジャーナリングです。モヤモヤしたこと、感じたこと、とにかく他人の目を気にせずにひたすら書き出してみましょう。書き出したものを客観的に振り返ってもよし、気のすむまで書き出して破って捨ててもいいと思います。大丈夫、お疲れさまです。

3.自分の存在価値を決めるのは最後は自分でいい。結局、他人は他人。

産み育ててくれた親を含め自分以外は全員他人です。そして、他人のことを100%完全に理解することってできません。あなたがモヤモヤしているその言葉も、相手のもつ基準に沿った言葉。でも、あなたの価値基準と相手の価値基準は例え近いものがあったとしても全くの別物です。持ってる個性も価値観も誰ひとりとして全くおなじことはないのに、そのひとが持つ価値観に基づいたひとつの評価に一喜一憂する必要は無いのではないでしょうか。もちろん、参考にするひとつの指標にはなるし、もしあなた自身思い当たる節があって自らの価値観と照らし合わせた上でもそう思うのであれば、自分の理想とする像に向けて頑張ればいいだけ。存在を否定されたような気持ちにならなくて大丈夫だと思いますよ。

言葉って生きるパワーの源にもなるし、鋭利な刃物にもなります。自分が発した言葉で誰かに与える影響力って計り知れないものがあるからこそ美しい言葉を発して行けるような人でありたい、私は特に最近強くそう思うようになりました。

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