パーカーおじさん論争から学ぶ「SPEDテクニック」
盛り上がっている議論を整理するときに使えるのがSPEDテクニックです。パーカーおじさん論争を例に、SPEDテクニックを使ってみます。
対象読者は次のとおりです:
SPEDテクニックについて知りたい人
SPEDテクニックなるもので処理された「パーカーおじさん論争」の整理内容を見たい人
(前提) SPEDテクニックとは
以下の略です。
Source
一次ソースを確認せよ
Platitude
当たり障りのない一般論を挙げてみよ
Example
具体的なケースを設定して議論してみよ
Distill
一連の情報から本質を導いてみよ(蒸留)
情報をSPEDに従って集めていきます(自分の考えを出すことも含む)。順番もS、P、E、Dのとおりですが、PとEとDは行ったり来たりします。
明確な終わりはないので、きりのいいところで勝手に終わります。よくあるのは「一通り出し切った」や「大体わかったのでこれくらいでいいや」などです。
以降からはSPEDテクニックを適用していきます。
Source 一次ソースを確認する
元ネタは以下の動画と思われます。
該当箇所は11:22頃。再生数は 2024/12/16 15:30 時点で 8.3 万程度となっています。
また Yahoo! ニュースなどで追加説明もあります。
少し長いですが引用します。
Platitude 一般論を挙げる
たとえば、以下になるでしょうか。
誰が何着ようと自由である
おじさんを決め打ちして断定するのはハラスメントである
40代(50代)だけどパーカーは着ている人は珍しくない
Example 具体的なケースを設定して議論する
ここではケースを「~~という主張ではないか」として使います。たとえば「ケース: だらしない」は、「だらしないという主張ではないか」という意味です。
また肯定派と否定派に分けて、意見の例を一つだけ書きます。肯定派を先に書いて、それに対する否定派の意見を一つ書いています。
ケース: だらしない
肯定派
体型や身だしなみに投資していない。パーカーを着続けているのもその一環に感じられる。たとえば価値観をアップデートせず若い頃からの惰性で着続けるのでは、とか
否定派
容姿への投資は趣味やスタイルの範疇にすぎない。では毎日30分本読んでないからだらしないとか、毎日30分ChatGPTに触れてないからだらしないとか、毎日30分瞑想してないからだらしないとかいうのか
ケース: 礼儀がない
肯定派
部屋着はプライベートのものであり、仕事とプライベートは別のモードでやるべきだから、仕事は部屋着以外の服装になるべき。またパーカーは部屋着である――とすると、パーカー着て仕事しているのは部屋着で仕事しているようなものであり舐めている。どうせ人によって態度を変えるんだろう。たとえば重要な相手の場合は変えるのだろう?
否定派
今の時代、リモートでも仕事できるし、スーツもそうだが通常のデスクワークなら服装にさして意味はないし、そもそも人の服装にあーだこーだ言うのも多様性的に論外である。パーカーかどうかは関係がないし、仮に部屋着の延長であろうとも関係がない。そもそも身だしなみで礼儀をはかろうとする礼儀1.0的なあり方が前時代的だ
ケース: SUPREMEを着ているのが痛い
肯定派
着こなしが未熟なのに高級ブランドだから着てますという「成金が高価な時計つけてカッコ付けてます」感が痛い
否定派
カッコつけてるつもりはない。単に有名で入手しやすいから着ているだけ。お金は稼げてるので別に背伸びもしてない
Distill 本質を導く
どのような本質を導くかは人それぞれです。
たとえば以下は、インフルエンサーのコメントとニュースサイト上のコメントを拾い読みして、なるほどと感じたことを言語化してまとめたものです。
ビジネスネタへの昇華
例1: おじパーカーをつくって販売している例が複数見られる
例2: 「パーカーおじさん」というネタにはこれだけ盛り上がる力がある。このセンスを学ぶことはできないか?他にこれだけのパワーを持つワードを考えることはできないか?
選別の足しにする
ひろゆき氏の「こういうタイプの人に寄って来て欲しくないので、パーカーを着る事で両者に幸せが訪れると思うおいらです」
弱い人の存在
「これのせいでパーカー着なくなるおじさんが増える」的な意見が目立った
これは「いやその程度じゃ変わらないよ」な人から見たら「その程度で変える人がいるんだ」と学びになる
偏向という本質
可能性としては以下が考えられる
1: 新R25編集部が意図的に捻じ曲げているんだな
2: 妹尾ユウカ氏が後日のインタビューで後出ししているな
品格を問う
例1: インフルエンサーやコラムニストとして予防線を張った物言いをすることはできなかったのか
例2: 若手が浅いこと言ってるんだから涼しい顔してスルーすればいい、下手に反応すると自分の品格も疑われる
SPEDテクニックを終えて
いかがでしょうか。
SPEDテクニックの醍醐味は、断片的な情報に基づく Platitude(一般論)に終始せず、ちゃんと一次ソースから確認して、具体的ケースも設定して意見を集めて――としていくことで、解像度高く捉えられるようになることです。上手くいけば、学びやアイデアを蒸留することもできます。
その分、時間はかかりますし、頭の中だけではできないので書きながら行うことになりますし、と大変ですが、それだけの価値があると思います。
※ちなみに、SPEDを通じてどのように整理し、どんな本質を導くかは人それぞれなので、他人のSPEDの結果を見てもピンと来なかったりします。それでも比較的わかりやすく、盛り上がっているテーマを選んでみたつもりです――が、やはり自分でやってみるのが確実ですね。
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SPEDテクニックは、発想法的な側面があります。つまり、書くことを前提に、じっくりと、アイデアを思いつかせるように考えるところがあります。
このような営みは、人によっては無縁かもしれません。当サイトではフリー仕事術として解説していますので、よろしければ見てみてください。