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最も強い人が最強なのではなく「無敵」であることが最強なのだ

こんばんは。
りんです。

先日、友人から「最強の武道って何だと思う?」と聞かれました。
私が合気道経験者だったので、この質問をされたのだと思います笑

結論からお伝えすると、最強の定義によって答えは変わります。

もしストリートの異種格闘技をすれば、合気道はボクサーのジャブで秒殺される可能性があります。
しかし、最強とは純粋な強さではないと私は考えています。

そしてこの考え方は仕事に直結し、今でも私の中で活かされています。
今回は合気道を通じて学んだことをシェアします。

最強技は「自分を殺しに来た者と友達になることです」

私は大学時代に合気道をしていました。
映画とスティーヴン・セガールに影響されたことと、誰にもナメられたくないという思いから、4年間ド集中して稽古に励みました。

日本武道館で演武したこともあれば、プロの師範の「受け(※)」をしたこともあり、我ながらそれなりの実力を身につけたと天狗になっていた時期もありました。
※技を受ける人のことで、野球に置き換えればキャッチャーのようなポジションのこと

純粋に強さと上手さを求めて道を極めようとガムシャラになった時に気づいたことは、上には上が果てしなく存在し、達人の域に達する人たちは全く強さを求めていませんでした。
彼らに共通していることは、体に一切の力みがないにも関わらず、ビクともしない大木のようであり、一方で柳の木のように柔軟で私が仕掛けた攻撃が全く通用しなかったことです。

合気道の開祖である植芝盛平の直弟子であり、神業と謳われた塩田剛三は合気道の最強技について聞かれた時、「自分を殺しに来た者と友達になることです」と答えています。
つまり、そもそも敵を作らない「無敵」状態こそが最強なのだと述べているのです。

確かに敵がいなければ、そもそも負けることなどあり得ないのです。

また、私が師事していた遠藤征四郎師範は「流れる水の如く千変万化しなさい。」といつも仰っていました。
要するに力でどうにかしようとせずに、状況に応じて変化しろという意味です。

強い力に対して同じ力で拮抗しようとすれば、相手はより強い力で押さえ込んでくるのが理です。
合気道ではわざわざ相手に対抗する必要はなく、相手が前に進みたければ、前に進ませてやればいいのです。

余談ですが、合気道がインチキだと思われている所以はそこにあります。
相手が前に進もうとする力を利用して、投げたり関節技に持ち込んだりするのが合気の原理で、技を受けずに外から見ているだけでは全くわからないからです。

仕事においても無敵こそが最強

では仕事に置き換えた時に、「無敵」であることがなぜ最強なのでしょうか?
仕事は基本的に一人で完結することはありません。

必ず仲間がいて、力を借りて目標を達成していきます。
そんなチームワークが大切な仕事において、敵を作り、好き嫌いの感情に左右されて仕事の進捗に影響を出すことは無駄でしかありません。

もちろん、100人のチームで100人全員が自分のことを好きなる可能性は少ないかもしれません。
人は嫌われていると思うと、自分も勝手にその人を嫌いになってしまします。

しかし、その線引きこそが敵を作り、無駄につながります。
であれば、例え相手が自分のことを嫌っていようと、自分は人と友人のように関わり「常にあなたのことを信頼しています。好きです。」という態度を示しましょう。

何なら、あえて自分は負けて相手を勝たせてしまってもいいです。
私はたくさんのご縁を作る為に飲み会を主催していますが、大抵の場合は友人が新しい友人を連れてきてくれるのでアウェーです。

そんな時こそ、初対面の敵だと線引きせず、精一杯友人を立てて、褒めて、持ち上げ、いい気持ちになってもらいます。
時には自分をネタにも使います笑

それでも相手が喜んで帰ってくれるなら結果オーライです。
その場いる人は全員、敵どころか友達になって、新しくできた友人がまた新たなご縁を運んでくれます。

時に自分の成長や収入アップのために、ベンチマークの人を見つけて競争心を利用することは大切です。
しかし、相手に依存してしまうと自分に矢印が向かなくなり、失敗しても原因を自分ではなく他人のせいにしようとしてしまいます。

戦うとしたら、自分とだけです!
過去の自分に打ち勝ち、昨日よりも今日、今日よりも明日、目標に近づくことが大事です。

ここまで書きましたが、私自身も常に自分と向き合ってトレーニング中です。
一次感情でムカつくことはもちろんありますが、そんな時こそ仲良くなろうと決めています。

是非みなさんも実践して、一緒に物心共に豊かな人生を作っていきましょう!

今日はここまで。
ありがとうございました。

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