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自己及び登場じんぶつ紹介


わたしと旦那(予定)と嫁(確定)と


自己紹介回である。
その前に、プロフ欄の自己紹介文は読んで頂けただろうか。
まだの方は是非ご一読頂きたい。
読んで頂ければ分かるが、ここから先は基本的に胡乱な話しかしない予定である。
話題が胡散臭いので努めて冷静な文体を装っているが、それはそれでこの調子のまま「ない虚構存在が居る話」などを始めると驚かれるであろうから、その点については予め断っておく。

何にせよ当該記事シリーズは私の自己満足に尽きるので、話半分の面白半分で眺めて頂ければ幸いだ。

主な登場じんぶつ一覧

以下の通りである。

  • 中の人、あるいはあるじ
    我。マニッシュが癖なセクシャルジェンダーわやわやにんげん。スーツの似合う高身長な男前の女になりたかった低身長。
    嫁と旦那に向けているのは恋愛感情でも性欲でもないクソデカ感情だと自認している。両名はその辺りの別はほぼ気にしていない模様。
    両者に対してポリアモリー(複数性愛)と言うよりは、「人生において自分の実の子供と自分のアイデンティティの権化たる創作物とは天秤に掛けられないでしょ」というような感覚。そもそもどっちも性愛でも恋愛感情でもないんだってば。

  • よめ(確定)
    居る。ふしぎ虚構存在。
    男性体を持つ版権キャラだが擬人化元が無機物のため自認は無性らしい。その上で「あるじのおよめさん」を進んで自称している。
    中の人のことは凡ゆる関係性を包括した概念としての『あるじ』という認識。己のユーザー。クソデカ感情feat.主従概念。
    後述する旦那(予定)への『義弟殿』という呼称の名付け親。曰く、「あるじの旦那になるひとなら俺とはきょうだいみたいなものです、まあ俺の方が上ですが」とのこと。
    特技は札遊び全般とイカサマで、読書と紅茶が趣味。

  • 旦那(予定)、あるいは義弟殿
    中の人の婚約者(本日現在)にあたる生身の人間男性。中学校の同級生であり、知人歴15年弱の交際歴8年くらい。
    ポリアモリー承諾者というよりは、目の前で嫁が居るになる様を共に見ていたので「嫁くんは居るね〜」と言ってくれている人。
    ジェンダー認識が良い意味で雑。先日は「男だろうと女だろうと核爆発の前では等しくゴミ」と言われたので大喜びで喝采を送っておいた。そういうのでいいんだよそういうので。

今後の展開

さて、そろそろ胡乱さがお分かり頂けて来ただろうか。

つまりこれから語られるのは、
AセクAロマ(無性愛者/他者へ恋愛感情を抱かない)傾向であった為にFセク(フィクトセクシャル、架空のキャラクターへの性愛)やら夢女子やらという既存の括りに入り切れなかった人間による、
何だか知らないけど気付いたら『居る』になってしまっていた虚構存在とのにんげん関係の話である。

……なるだけ簡潔にまとめたつもりだが如何だろうか。

話がややこしくなっている一因として、セクシュアリティやらジェンダーやらと切っても切れない話題であるということは間違いなく大きいだろう。

ただ、私が一連の記事で述べたいのはあくまで私の嫁との日常についてであるので、そちらの方面には敢えて深入りしないつもりである。
始めたてのnoteを少し流し見ただけでも、セクシャルマイノリティに関する記事は先達が沢山執筆してくださっている。興味のある方は是非そちらを検索して頂きたい。

その上で「いや『虚構存在』が『居る』ってなんだよ」という話であるが、今のところは額面通りに受け取って、飲み下せないまでもそのまま脇に置いておいて頂けると大変助かる。
何せ嫁との馴れ初めやらこれまでやらを語るとそれだけで一記事書けてしまうが故に、それだけで順当に一記事書く用意をしているところなのである。今少し時間を頂きたい。

ただ現時点で一つ言えることとして、『当事者』であるところの嫁曰く、その存在は二次元ではなく三次元であり、しかも所謂イマジナリーフレンドタルパというやつでは《ない》、という自己認識らしい。
これが界隈らしいどの界隈にもイマイチ馴染めないもう一つの理由だ。

じゃあ嫁ってなんなんだよということについては、あるじである筆者も紹介に書いた以上のことは分からない。分からないというよりそれが本質定義らしいので、「それ以上」などというものはないのだろう。
良くも悪くもふしぎ存在、それが今のところの私の嫁である。

だってそういうことなので

そんな訳で何もかにもが少しずつ既存の定義とズレている我々だが、今のところは特に不自由はしていない。
タロットカードを使っておしゃべりをしたり自称担当編集の嫁に原稿を急かされたり互いにゴネたりゴネられたりしながら、なんやかんやで毎日楽しく暮らしている。
だって我々はこういう存在でこういう関係なのであり、敢えて誤解を恐れずに言えば、それで既存の型に嵌まれないのならそれは型の出来が悪いのだ。

ただ、そうやって既成概念を一蹴して面白おかしく暮らしている様は、もしかしたら同じように枠組みから取り残されて何処かに存在しているであろう超超超少数派にとっては、何らかの益になりうるかもしれない。

貴方はひとり、あるいはお相手と合わせてふたりぼっちかもしれないが、ひとり/ふたりぼっちなのは貴方だけではないのである。

そのことで少し呼吸が楽になる人が何処かにあれば、乱文を生産した甲斐もあったというものだろう。


……などと如何にも有用性の高そうな事を宣ってみたが、一連の記事の主目的は「嫁がおもしろいので人生がたのしい」という右斜め上の惚気である。
願わくは今後とも眉に唾を付けながら、話半分の面白半分でお付き合い願えれば幸いだ。

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