「第95回野村狂言座」より『以呂波』と『狐塚』
狂言4曲は、どれも初めて! わくわくしながら水道橋の宝生能楽堂に足を運んだ2021年8月27日。暑い日で、開場時間ぴったりくらいに到着したら、なんだか人が少ない? いつもならちょっとした行列ができているのに、と少し不安になりながら、消毒→自分でチケットもぎりを済ませて座席へ。今回は「を」列なので、だいぶ後ろ寄りです。お客さんの入りがゆっくりで、「今日はガラガラ!? コロナ急増の影響か」と心配しましたが、開演時間間際には、席があらかた埋まって安心。とはいえ、私の座った列には他一人しかこなかった。いつもより寂しい野村狂言座。
でも、開演前には野村萬斎さんによる解説があって、最初からぜいたくな気分。今回は作品のストーリーを中心にお話ししてくださいました。狂言や能の公演ではプログラムや基本の語句解説は無料配布なので、結論手前くらいまでのストーリーはだいたいわかるのですが、それでも読むより聞く方がよくわかります。
萬斎さんの美声にうっとりしているうちに、開演。最初は小舞。ご子息、裕基さんの『柳の下』と、石田淡朗さんの『掛川』です。『柳の下』は稚児と僧侶の恋愛を描いているそうですが、裕基さんは品良くさらりと舞われていました。淡朗さんの『掛川』もわりとさっぱりした風に感じられました。
狂言1曲目は『以呂波(いろは)』。京都の大蔵流より、茂山忠三郎さんと息子さんの良倫さんがゲスト出演。父が息子に、まだ文字を教えていないので教えよう、というストーリーなのですが、演じるのは本物の親子。さらに息子の良倫さんはちょうど文字を教わるくらいのお年頃なので、リアルだし、登場した瞬間からニコニコしちゃうような微笑ましい雰囲気。
父が「まだ息子に手習いを教えていないので、この度教えようと思う」と息子に向き直り、「いろはに〜」というと、息子は「立て板に水をかけるように言われては覚えられないから、1文字ずつ教えてくれ」という。そこで父が「い」というと、すかさず息子は「灯芯」。いぐさは灯芯にするものだ、という連想ゲームですね。クイズ番組なら、問題を読み終わらないうちに答えるくらいの速さ。そんなに賢い子なら、1文字ずつじゃなくても覚えられそうなもの。つまり、お父さんをおちょくっている? 将来が頼もしい息子さんです。
続いて父が「ろ」といえば「かい」→舟つながり。「ちり」といえば「集めて捨てるもの」と答える息子。いい加減にしろと腹を立てた父の「私の言った通りを繰り返せばよい」という言葉尻をとって、セリフを完コピして父をさらに怒らせ、腕をとってえいっと振り回されたら、全く同じように仕返して逃げちゃう。
息子に言い含めようとする忠三郎さんの優しく寛容な口調に対し、息子さんが狙っているのか、稽古中だからなのか、妙に棒読みなのも、この作品にぴったり。リアリティも加わって、素直に楽しめました。ちなみに和泉流では『伊呂波』と書くそうです。
2局目は『狐塚(きつねづか)』。主人公の太郎冠者を月崎晴夫さん、主人を岡聡史さん、太郎の同僚の次郎冠者を竹山悠樹さんが演じました。
秋の実りの季節。主人は「今年は例年以上に豊作でめでたい。狐塚の田に鳥が群れで飛んでくる。せっかくできた米を食べられないように太郎冠者に見張らせよう」と、太郎冠者を呼び出します。太郎冠者は「豊年はめでたいけれど、狐塚には狐が出て化かされるから嫌だ」と断ります。太郎、びびりん坊なんですね。それでも、と主人に命じられれば行かないわけにもいかず。絵馬くらいの板に細い竹を何本か貼り付けた「鳴子」を持たされて、狐塚に送り出されました。
明るいうちは元気な太郎冠者。木(実際は舞台の柱)に鳴子付きの紐をくくりつけ、もう一方の端を自分で持って座り込み、鳥の群れがやってくるとジャラジャラ鳴らして追い払います。「近くの田に降りたぞ」などと無邪気に喜ぶ様子から、怖がりのくせに意外と無防備な人だなと人柄が伝わります。
そのうち、あたりがだんだん暗くなってくる。鳥は夜には活動しないんだから帰っちゃえばいいのに・・・とちらりと思いましたが、太郎はよっぴいて番をするつもりらしいのです。
そこに、次郎冠者が登場。「太郎冠者は臆病だから、狐塚で寂しがっているだろう、見舞いに行こう」というわけです。しかし暗い。どこに太郎がいるかわからないので、「おーい、太郎冠者」と呼びかけると、太郎はそれが、次郎冠者に化けた狐だと勘違いして、引っ括ってしまいます。さらに、同じように見舞いにきてくれた主人も捕獲。
「おーい」「やーい」などと声を響かせる様子、それを聞き取ろうと耳を傾ける仕草で、田舎の田んぼの暗さ、物音ひとつしない静けさが表現されています。
太郎は狐を捕まえたつもりで意気揚々。意地悪するつもりでくすべた松葉を次郎、主人に近づけると、二人は「けむい、けむい」と嫌がります。太郎が「やめてほしかったらコンと鳴け」というと、次郎も主人も、妙に動物っぽい高い声で「コン」と鳴く。そんなに上手に鳴くから狐だって勘違いされるんじゃ? すっかり満足した太郎は、怖さを忘れたのか自信をつけてしまったのか「毛皮をはいで敷物にしてやる。鎌を借りてこよう」と、狐塚を離れます。その隙に、次郎が紐を解くのに成功し、主人も解放。そこに鎌をもった太郎が帰ってくると、二人はそれぞれ、太郎の足と肩を持ってぶらんぶらん揺すって復讐を果たし、さっぱりした気分で帰っていきます。残された太郎は「縄抜けされた! もう一度とらえてやる」と追いかけてゆき、お話はおしまい。最後まで、自分がとらえたのが狐だと思い込んでいるのがいいところ。
ストーリーははっきりしてメリハリがあるし、秋の風情が素敵。萬斎さんの解説では「うちの親父によると、昔はよく上演されたらしいです」。ということは近年はあまり上演されないのでしょうか。穏やかな農村の眼に浮かぶようで、すごくいい作品だなあと感じました。秋の定番になればいいのに。
後半の『貰聟』と『禰宜山伏』は別記事で書きます!