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サイコロの灰皿。

好きだった、なにもかも。
たばこを吸うあなたの後ろから、
ぎゅうっと抱きつく。
そこがわたしの一番のお気に入りの場所だった。

換気扇の下でたばこを咥え、ライターで火をつける。
煙があなたに吸い込まれるように、わたしはあなたの背中に吸い込まれた。
猫背のあなたの背中は丸まっていて、猫背のわたしが抱きつくのにぴったりだった。

わたしが抱きつくためにあるような、
わたしに抱きつかれるためにあるような、
そんな背中だった。

iPhoneで音楽を選びながら、煙を吸い込む。
吸い込むたびに膨らむ背中。
換気扇の下。二口あるガス台の上に置かれているのは、わたしが買ったサイコロのデザインをした灰皿だった。わたしには灰皿なんて必要ない。燃え尽きた灰は慣れた手つきでサイコロの中に落とされていく。

たばこをすっている5分間。
わたしとあなたの距離が0センチになる5分間。
この瞬間が永遠に続けばいいのに。
あなたの背中の膨らみを感じるたび、世界で一番幸せなのは自分なのだと、これっぽっちも疑うことなく信じ込んでいた。

---


それっきり、灰皿は仕事を失った。
灰を落としてくれる人はもういない。
家に帰り、リビングのドアを開けるたび、手持ち無沙汰な灰皿が寂しそうにぽつんとそこにいた。

寂しいのはわたしだった。
朝までバイトをした夏のある日。
始発すら動かないその時間、わたしは歩いて家まで帰っていた。

登り始めた朝日。
川の水面にきらきらと反射した光が目に刺さったせい。
流れ始めた一筋の涙さえ、朝日を反射しているのがわかった。

気づいたときには、コンビニのレジの前にいた。わたしが指差した先にあったのは、あなたが吸っていた、名前も知らないたばこのパッケージだった。

たばこなんて、本当はだいっきらいだった。

絶対にたばこなんて吸わない。
絶対にたばこを吸う人とは付き合わない。
そう思っていたのに。

---


太陽がどんどんと昇り、街も人も目覚め始めた。
わたし1人、薄暗い部屋の、換気扇の下に立っている。

吸い込んだ煙にむせてしまった。
それでも吸い込むのは、あなたとのキスの味がしたからなんかじゃない。

煙が目にしみてしまった。
涙が出てきたのは、あなたに抱きついてるときに包まれた香りがしたからじゃない。

たばこも。ライターも。サイコロの灰皿も。
ここにはあの日と同じものが全部あるのに。

たばこなんて、やっぱりだいっきらいなのに。

のぼる煙は、あなたの腕のように、苦く、優しく、わたしを包む。

溢れる涙を堪え切れないわたしの前で、灰皿だけが1人嬉しそうだった。




秋。


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