現代版インド人の偉人たち (Part3)
5)シャンタヌ・ナラヤン(Shantanu Narayen)
育った環境
1962年インド・ハイデラバードで誕生。
父はプラスチック会社を経営、母はアメリカ文学の大学教授。教育熱心な家庭で、ハイデラバード公立高校では学業に打ち込みつつ、ディベートの課外活動、校内雑誌の編集に携わり、当時はジャーナリストになりたかったそうですが、父も兄もエンジニアだったので、その後に続いて欲しいという期待を背負いました。
インド・オスマニア大学へ進学し、更に情報科学や電子工学について勉強したいと考え、米国留学を決意しました。父も兄もアメリカ留学経験者であり、いまでこそインド国内のIT業界は発展しましたが、当時はコンピューターサイエンスを志すのであればシリコンバレーへというのが常識だったそうです。
渡米後
カリフォルニア大学、ボーリンググリーン州立大学を卒業しました。
「インドの大学では専攻の講義しか受講できないが、アメリカでは専攻外の講義にも参加することができ、幅広く学び考え方が広がりました。一方で努力を惜しまない、長期的な目標をもつといった考え方はインド文化から学び、インドとアメリカの両方で学生生活を過ごせたのは、とても良い経験になった」と発言されています。
卒業後はシリコンバレーでスタートアップ企業に就職した後、Apple社、Silicon Graphics社で製品開発に従事し、写真共有サービスであるPictra/ピクトラを共同創業しました。
PictraでAdobe社と業務提携を結んだことで、デジタルイメージングの領域に注力しているのを知って1998年にAdobe社に入社することを決めたそうです。
Adobe社での活躍
既に実績があったので1998年に製品リサーチ副社長として入社し主要製品の研究開発に従事、その後順調に昇進しました。2005年に社長兼COO、そして2007年にCEOに就任。
CEOとしてAdobe社を業界イノベーターへと変革させました。Adobe社の看板商品だったCreative Suiteの販売を中止し、Creative Cloud・サブスクリプションモデルを導入、デジタルドキュメントのグローバルスタンダードを確立、広告主がデジタル広告の閲覧履歴をチェックしたり、効果を測定できたりするようにサポートする“デジタルマーケティング”というカテゴリーの創出も彼の功績です。
2018年に初めて同社の市場価格が1000億ドルを超えました。
世界からの評価
Adobe社はシャンタヌ氏の経営手腕により下記のような多数の賞を受賞しています。
Barron's誌の「World's Best CEOs」やFortune誌の「World's Most Admired Companies」「Fortune 100 Best Companies to Work For」「Businessperson of the Year」
シャンタヌ氏自身も多くのメディアでの「Top CEO」として指名されています。
※Glassdoor社やComparably社の行ったTopCEOは各社社員の投票により決まります。
ジャーナリストの夢
「インド大学時代もテレビのコメンテーターを務めたり、夏休みは『The Indian Express』というインドの新聞会社で働きました。Adobe社に入社してからも出版社のお手伝いをしていまでも出版業に携わっているといっていいでしょう。
Adobe社は出版業界にものすごく力を入れています。
例えば、雑誌や新聞を手に取ったとしても、モバイル端末で動画を見たとしても、それらすべてにAdobe社がかかわっています。Adobe製品なしでは、今日の出版業界は考えられません。そう思うだけでとても大きな満足感が得られるのです。私はジャーナリストにはなれませんでした。しかしジャーナリストに不可欠なツールをつくっています。そういう意味でもAdobe社での仕事は最高の体験です。」と語っています。
シャンタヌ氏の経歴
・1962年インド・ハイデラバードにて誕生
・ハイデラバード公立学校
・インド・オスマニア大学卒業
・カリフォルニア大学バークレー校MBA
・オハイオ州ボーリンググリーン州立大学修士
・Apple社入社
・1998年Adobe社製品リサーチの副社長として入社
・2005年社長兼COO
・2007年(当時45歳)会長、社長兼CEO (Adobe財団の理事長でもある)
・2011年米国オバマ大統領から経営諮問委員会のメンバーに任命される
・2017年更に取締役会長も兼任になりました。
・5件の特許を保有するエンジニアでもある。
6)アジャイ・バンガ(Ajay Banga)
兄はHindustrian Uniliver(ユニリーバ・インド)社のCEOでバンガ兄弟は一般家庭からそれぞれが巨大企業のトップになった驚きのエリートサラリーマンです。
育った環境
父はパンジャブ出身の軍人で、母は専業主婦、5歳上にユニリーバ・インド社現CEOの兄ヴィンディがいます。アジャイ氏は実父のことを家族を大切にし、約束を守る人だと表現しています。
軍人だった父は家族を伴い広いインドの各基地へ転勤を繰り返していました。インド人と一括りに言っても、お隣さんは全く違う言語、文化、宗教、食物を背景に暮らしていて、アジャイ氏はこの環境下で他者との違いを共有し尊重することを学んだと発言しています。
長い学生時代
インド中央プネで生まれ、南部のハイデラバード公立高校を卒業。
その後は北部デリーでステファン短期大学→デリー大学へ進学しました。
大学卒業後は兄弟揃って、インド経営大学院大学(IIM)アーメダバード校でMBAを取得しています。
※インド経営大学院大学(IIM)はインド国内のMBAで最高峰と言われています。
※兄ヴィンディはインド工科大学(IIT)卒業。
インド国内で飲食業界の道をすすむ
1981年にNestle/ネスレ社へ入社し13年勤めました。その時は「CEOになる!」などの野望もなく、「良い生活」のために働いたそうです。
1994年、Pepsico/ペプシ社でのインド展開で活躍。それまでの人生は家族も友人も全員インドにいて仕事もインディアンマーケットのみでしたが、同社へ転職したことをきっかけにグローバル人材と働くことになり、初めての世界が開けた体験をしたそうです。
グローバル、金融界へ真逆の転身
15年いた飲食業から離れ1996年Citi Bank社へ転職しました。彼自身は業界を変えることに恐れはなく、転職後最初のロンドン出張を経験しこれが自分のやりたいことだと確信。
ヨーロッパ、北米、アフリカ、世界各地を渡り順当に昇進し、2010年マスターカード社でCOOに指名された時は、Citi Bank社各国のビジネスラインの全責任を負うアジアパシフィックリジョンのCEOでした。
彼は兼ねてから身近な社会問題の解決をしたいと考えていて、2005年からCiti Bankグループ全世界支社で小口融資業を行いました。それまで銀行からお金を借りれなかった個人事業主等を支援し大勢の人生を変えたと連想できます。
40年を振り返り
2011年、時価総額30ビリオンドルだったマスターカード社のCEOになってから引退するまでの10年、2021年の時価総額は11倍330ビリオンドルになりました。
この成功はどこからきたのか、アジャイ氏のインタビューで、彼は以下のことを発言しています。
1)仕事に対して、「ノー」を言わないこと。
自分で思うことがあったとしても、上司の指示には自分が知る由もない理由があると考え、仕事に励んだそうです。
2)徹底的に「ダイバーシティ」を重んじる。
同じ考え・経歴の持ち主ばかりだと会社は大きなチャンスを逃してしまう、1人の過ごせる人生は短いので、多様な人と意見を交換して補いあうことが大きなチャンスを生むことに繋がる。
シーク教?
インドではヒンドゥー教徒が多数ですが、彼はシーク教の家庭で育ちました。
アジャイ氏は敬遠なシーク教徒で、海外生活が長く「タリバン」と見知らぬ人に差別を受けた経験もあるそうですが、現在まで全ての写真に髪の毛は写り込んでいません。
生まれた時から体毛を切ってはいけないので、長い髪の毛をターバンでまとめています。
一昔前にCMで「インディアン嘘つかない」と流れていたターバンのインド人は嘘をつかないという教えを守るシーク教徒のことですね!
アジャイ氏の経歴
・1959年誕生
・ハイデラバード公立高校Hyderabad Public School卒業
・デリー大学BA卒業
・インド経営大学院大学(IIM)アーメダバード校卒業
・1981年、Nestle/ネスレ社入社(インド)
・1994年、Pepsico/ペプシ社入社(インド)
・1996年、Citi Bank Group社入社(インドから世界へ)
・2010年、マスターカード 社、COO
・2011年、同社CEOへ
・2021年、退職(当時年収27270000ドル)
7)リーナー・ナーイル(Leena Nair)
「現代版インド人の偉人たち」シリーズの最後は、いま日本でも空前の再ブーム中であるシャネル社のCEO、働く女性のロールモデル、リーナ・ナイール氏の経歴についてまとめました!ファッション業界に詳しくない方でも既知の世界ブランドにもインド人が活躍しています。
女性として自ら掴み取った学歴
インド・マハラーシュトラ州の地方小都市コルハプールで生まれ、大学卒業まで州内で過ごしています。
当時ナイール氏の地域では女性は中学一年生までしか進学できませんでした。ナイール氏が進学するにつれて、中学2年生まで、3年生までと制度が変わり、一期生として高校まで進学できました。毎日20kmの通学路で「私はなんでもできる」と信じて自転車を漕いだそうです。
男子3000人、女子18人という激烈な競争でナイール氏は勉学に励み、大学では電子通信工学を専攻。MBAを取得したインド有数のビジネススクールでは首席で卒業しています。
※世界で活躍するインド人の経歴によく見られるIIT・Ivy(インド工科大学・米国アイビーリーグ)卒ではないこともインド国内で話題になっています。
Hindustan Unilever・ヒンドゥスタン・ユニリーバ社(ユニリーバ社の在インドグループ会社)
1992年新卒入社し、幹部研修生としてインド各地の工場勤務に配属され、地方の工場研修生としてナイール氏のキャリアはスタートしました。工場勤務のほとんどのスタッフが男性の中、抜きん出て優秀だったナイール氏は翌年1993年には早々にリプトン工場の人事マネージャーに任命されました。
ナイール氏の活躍は各地工場から本社へ届き1996年、若くして本社社内広報部長に抜擢されます。熾烈な競争を勝ち抜き2000年には人事部長に昇進、2007年人事最高責任者へ順当に昇進し、2013年上席副社長へ就任。
ナイール氏は全ての役職に於いて「女性初の〇〇」でした。
挿話
ナイール氏はそのキャリアを通じて、女性は自分1人だけという環境で働くことが多かった。勤務先に女性トイレが設置されていないことも幾度となくあり、当時は「トイレを借りてもいいですか?」と同僚の男性たちの許可を得てから、男性トイレを使っていた職場環境で、数少ない女性はさらに少なくなることが察せられる。
巨大企業ユニリーバ社へ
あまりにも優秀だったナイール氏は、インド国内だけでなく、グループの親企業であるUniliever/ユニリーバ社のアジア部の責任を担うなど広域で活躍し、2016年最高人事責任者(CHRO)に大抜擢されました。“first female, first Asian, youngest ever”初女性、初アジア人種、そして最年少わずか47歳でした。
ナイール氏は世界経済フォーラムで「史上初の役割を引き受ける人は、すべての女性、すべての肌が浅黒い人々、あるいはすべてのアジア系の人々を代表していると思われがちだ。だが、成功が大きく伝えられる一方で、失敗も大きく伝えられる。こうした立場の人が失敗すると、『だから言っただろう、女性をあの役職につけるべきではなかったんだ』と言われる」と語っています。
CHANEL/シャネル社
ユニリーバ社CHRO在任中に管理職の男女比率を50対50にした実績が世界で評価され、今年2022年1月よりシャネル社のCEOオファーを受けロンドン本社で勤務開始されています。シャネル社がCEOをファッション業界外から抜擢することは異例ですが、ナイール氏の出自はHRであり、IT、生活に密着した日用品なので今後シャネル社の販売方法やカスタマーエクスピリエンスの向上が期待できそうです。
世界の評価
英国籍を取得しロンドンを拠点とされているので英国のビジネス・エネルギー・産業戦略省/British government’s business, energy and industrial strategy departmentでディレクターとして参画したり、様々な法人企業で活躍されています。
最近では2021年、イギリスのthe Great British Business Womanでその年のRole Model of the year award/働き方ロールモデル賞に輝いたことが話題になりました。
ナイール氏の経歴
・1969年誕生
・The New College Kolhapur(高校に相当)卒業
・1990年、Walchand College of Engineering 電子通信工学(E&TC) 卒業
・1992年、Xavier School of Management (MBA in HR)卒業
・1992年、Hindustan Unileverインド・ユニリーバ社へ入社
・1993年、リプトン工場・人事マネージャーに抜擢
・1996年、本社・社内広報部長に昇進
・2000年、人事部長に昇進
・2004年、人事部ホーム&パーソナルケア統括に昇進
・2006年、人事部総合統括に昇進
・2007年、人事担当常務取締役に昇進
・2013年、上席副社長に昇進
・2016年、Unilever/ユニリーバ社の人事最高責任者兼経営幹部に抜擢される
・2021年、Chanel/シャネル社のCEOに指名される
・2022年、Chanel/シャネル社のCEO就任
シリーズでこれまで紹介してきた全ての世界で活躍しているインド人は全員大学までインドで過ごしていて、今回ご紹介したナイール氏に至っては中学に行くにもままならない環境下から分厚いガラスの天井を破り高く羽ばたいた方で世界から大注目されています。同じアジア人、有色人種としてこれだけ活躍できるインド人の功績を見ると今後のインドパワーに乗っかりたいです!
まとめ
シリーズでこれまで紹介してきた全ての世界で活躍しているインド人は全員大学までインドで過ごしていて、今回のアジャイ氏に至っては文系の方で、インド国内で数社転職後に世界で活躍した経歴。
そして、ナイール氏に至っては中学に行くにもままならない環境下から分厚いガラスの天井を破り高く羽ばたいた方で世界から大注目されています。同じアジア人、有色人種としてこれだけ活躍できるインド人の功績を見ると今後のインドパワーに乗っかりたいです!
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その内容も今度の機会に投稿しようと思います。
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