必要だからあらわれる

私に課題を出したふたりの人間

先日、異動した早々、強烈な人のもとに配属され、2年間一緒に仕事をした話しを書きましたが、じつはこの時、プライベートでも強烈な人を相手にしていました。それは何を隠そう私の父です。

課題を出すもうひとり

父も先日書いた方に負けず劣らず、自己愛が非常に強く、私はいくつになっても子ども扱いで、というよりも、子どもの頃から恫喝で、自分の理想像を押し付ける対象でした。それがわたしの自己肯定感が異様に低かった理由でした。

異動した街は実家のある(父が住む)場所でした。赴任して1ヶ月経つかたたないうちに父から連絡があり、事故の加害者になったけれど、相手方とこじれているので助けて欲しいという話しでした。

「事故を起こしたから助けてほしい」というのではなく、「事故を起こして相手方との関係をこじらせてしまったのでどうにかしろ」という話しでした。事故を起こして自分から相談できなくて、話しを悪化させたから、その後処理は頼むわということです。

結局この話し合いは不調に終わり、こちらから弁護士を立てることとなり、1年近くかかって解決した形になりました。父が相手に与えた損害を考えると(通常社会的な感覚として大きなものではなかった)、腹が立つくらい相手にごねられてしまったし、私の携帯電話の通話料も半端ないものでした。事故から半年、対応を弁護士にお願いして、事故の処理は事実上こちらの手を離れたことを父に報告した時のことです。そういう結果になったことを聞いた父は、相手方の悪口を言いまくりました。

私がもっとも許せなかったこと

私が許せなかったのは、相手への対応に難儀したことや携帯料金にかかったお金なんかよりも、相手のことへの尊重が全くなく、人を見下した態度だったことでした。

確かに、相手は嫌な雰囲気があり、互いの主張は並行線でしたが、私に対しては真摯に話しをしていました。きっと相手の方は初期段階の父の振る舞いに納得していなかったのだと思います。それを口実にお金を・・といのはあったのかも知れません。しかし、父が相手のことを尊重して相手に誠心誠意、謝罪をしていたらどうだったのだろうと思うんです。そう私は相手のことを尊重できない父の態度に腹が立ちました。それはわたしも含め、うちの家族に対してして来たことでもあるのです。

私が異動したこの年、母がこの世を去ってから7年、母の余命が伝えられてから10年近くの時間が経っていました。この10年の時間、私は父の理不尽さも飲み込んで向き合って来ました。それは父の長年連れ添った相手が亡くなってしまったからです。わたしが心の拠り所になることで、父が変わってくれたらなぁと考えていました。でも、それはなかったです。

生まれて初めて思っていることを伝えた

事故後の処理を全て弁護士に委ねたことを話すと、父は自分がしたことを棚に上げて相手の悪口を止めどなく言い出しました。

それを聞いた私は「相手方の悪口は聞きたくない。そもそも、加害者でありながら相手のことを尊重できないあなたのその態度が、相手をそうさせたのだと思う」といいました。

その瞬間、父は「お前は親に向かって何を言うんだ。もう親子の縁を切る」と言い放ちました。

わたしの心は解き放たれたようでした。

49年間、精神的に追い詰められ、親の思う通りにさせられて来た自分は、一種マインドコントロールのように親に縛られていました。まわりの人は信じられないかも知れませんが、人間の心理ってそういうものです。親に理不尽なことをされたとしても、大人になっても逆らえないのです。それをしていた父自ら、親子ではないと言ったのです。

それには意味がある

話しは大きくそれましたが、この時期に、自己愛が非常に強いという共通の性質を持つふたりの人が自分の前に現れたのは辛かったです。そりゃとても。ただここで書いたのはそれを言いたかったのではなくて、わたしの前に現れたふたりは、自分の前に現れるべくしてあらわれたということ。このタイミングでこの人たちとどう向き合うかということが、これからの自分がどう生きていくかという「宿題」でもあったのだと思います。

学んだことはどの状況でも通用するのか

じつはこのふたりと会う数年前、わたしは仕事で大きな失敗をしました。なんとか現場復帰しましたが、そのためには自分が心から変わったということを示す必要がありました。その時に、心理学などのことを勉強しました。それを機に仕事のやり方が変わり、仲間と前を向いて歩いて来ました。

異動してその環境がガラリと変わったわけですが、「じゃぁその学んだことがここでも通用するのかやってみなさい」ということなんだと思います。もし、本質的なものが身に付いているなら環境が変わろうとそれは通用するはずです。

自分が得たものはズレていなかった

転勤して、強烈な同僚とはそれなりの距離感で仕事をし、相手が仕掛けて来た困難もひとつひとつこなし、コツコツ結果を出したことで、相手も一定の距離感を持って接して来るようになりました。

事故の被害者とは、やり取りをしている間は終始穏やかに話しをしていました。ただ、フニャフニャして相手の言いなりになっていたわけではありません。保険屋さんにすら恫喝するようなことをしていた相手は、なぜか私には穏やかでした。

同僚と父のどちらにも憤りの気持ちを持っていました。私のことを人として尊重せず、彼らは自分のしでかしたことの責任を私に転嫁していたからです。その相手を尊重できない態度や考え方が問題を起こしているのですから。

私がしたのは穏やかだけど毅然とした態度をとること。

そのために冷静に相手の心理を読み、心理の法則に沿って分析、行動し、自分が「人としての自分」を保ちながら結果を出すことです。特に自己愛が強い人は自分に反対意見を述べる人間には徹底抗戦を仕掛けて来ます。だから相手に反対意見は述べないのが鉄則です。しかし、ここという時は相手につけ入れさせないために毅然とした態度をとることが大切です。

大変な同僚とは2年仕事をして、その後私は別な部署に配属になりました。同僚はその後、問題を起こしました。わたしは関わっていません。

父とはその後一度も会っていません。10年つくすだけ尽くしてのこの結果。私もできるだけこのことはしましたので、父からの行動を待っています。ひどい子どもだと非難する方もいらしゃるでしょうが、父と離れられたから楽になったかというとそんなことはなく、心配や不安などの気持ちが常に巡っています。

わたしがいつも思うのは、

・人はその人自身の意思で変わろうとしなければ変わることはできない

・自分の身を削られる思いをしないと変わることはできない

ということです。

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