アップルストアまで行きませんか
髪を切ると、その分シャンプーを少なく使うよな。
何かを失えば、その分何かを得ると信じている。
しかし、時にはどちらか一方を選んで反対側を失うのが嫌で、子供じみた欲を抱くこともある。
自分から積極的に話しかれば、その分多くの人が自分の周りに残る。しかし、その行為をやめてしまったら、誰も残らず空っぽになってしまうような虚しさが、どうしようもなく隣に住みついてしまう。表裏一体で、ある意味当然のこととして受け入れるべきなのかもしれないが、それが嫌で、「自分が疎かにしても、それでも自分を大切にしてくれる人がいてほしい」と静かに願ってしまう。
家の近くにアップルストアがある。
週末になると観光客で溢れ、表参道ではランドマーク扱いされている場所。通勤中に毎日目にしていると、iPhone16が発売されようが、Vision Proが登場しようが、まったく平常心でいられる自分に気づく。そのアップルストアの前には地下にある表参道駅に通じるA2出口があり、俺はその出口を主に利用している。
そして会社の近くにも駅の出口があり、そこはA4出口で社員の大半が出退勤時に利用している。退勤時間になると同期や先輩と建物を出て駅へ向かうが、結局、A4出口とA2出口へ向かうための横断歩道で、私はひとりグループから寂しく離れることになる。
たかが3分程度のことなのに、そのわずかなひとりの時間が嫌で、いつもA2出口まで一緒に行こうと必死で誰かを説得する。みんな最初の一、二回は快く付き合ってくれるが、次第に忙しいと断り、A4出口で「じゃあね」と手を振り見送ってくれる。それでも、私のマネージャーのひかさんは優しくて、毎回A2出口まで一緒に来てくれる。それが嬉しくて、その日は駅前にあるセブンイレブンで、夏はアイスクリームを、寒い最近ではチョコレートを買ってお礼している。
ある日、飲み会が終わってみんなが退勤する際、いつものようにひかさんと俺はA2出口に向かい、紅葉が落ち、イルミネーションの準備で電球がたくさん吊るされた街路樹の間を歩いていた。突然、ひかさんが口を開いた。
「シンくんって本当に不思議だよね。」
いきなり何ですか、と無表情で応じる俺にひかさんが続けた。
「この短い瞬間でさえ、人と少しでも一緒にいたいと思うのが不思議なんだよ。だって、すぐそこが家じゃん」
その言葉を聞き、「一緒に話していると楽しいじゃないですか」と流したが、家に帰ってじっくり考えてみると、それはなかなか鋭い洞察だと気づいた。20秒で渡れる横断歩道一つや、セリーヌと結婚式場が立ち並ぶ大通りをひとりで歩くことが、そんなにも俺には苦痛なのだろうか。何のために人と一緒にいようとし、わざわざ時間を延ばそうとするのだろうか。
よく考えると、これは私が人と接する態度にも通じている。結局、緩みかけた縁を締め直し、調整するのはいつも私の役割だった。情が深いからかもしれないし、孤独に弱いからかもしれない。そして俺は隠さない。
たった3分でも誰かと一緒に歩きたいと思っていることを。
俺が声をかけなければ起こらなかっただろうし、望まれなかったかもしれないその3分のために、いろいろなものを手放して生きている気がする。
それは時に俺を絶望させる。俺が何も行動を起こさない時、誰も俺との縁をつなごうとはしないことに。
それでも、俺は今日もA2出口まで一緒に歩こうと声をかけるだろう。
ほんの少しの温もりで心を温めるために。
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