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20230513中三弘前所感
中三弘前を遠くから見たとき、いわゆる「バブルの遺産」との印象を抱いた。毛綱毅曠が設計した外観であると知るのは後のことである。
(狭義の)ポストモダン建築は時期的にバブル景気と重なり、潮流として相互に影響があったであろうとは思う。建築の議論では時折、そのことを抜きにして純粋に思想のみで語られることがあるが、それは筋違いと思う。
とは言っても、逆に思想的なものを抜きにしてバブルの文脈だけで語られるのも違うだろう。
隈研吾のM2ビルは、日本のポストモダン建築として象徴的な例である。巨大なオーダーやその他の装飾を遊戯的に用いる。その画像を母親に見せたとき、「バブル時代の遺産だねー」などという風に言われた。当時学がなく、その意匠を純粋な思想由来のものだと思い込んでいたので、答えに詰まりうろたえ、ムッとした。隈が若くとがっていたころの思想の粋を、「ただのぜいたく」と片付けられてしまったと感じたのである。
たしかにM2や中三のようなポストモダン建築はバブルなしでは成り立たなかったところもあろうが、モダニズムの反動を経なければ生まれない建築の姿でもある。しかしそれは界隈の外では語られにくい。建築と一般のギャップという、重要な問題がよくあらわれた一場面である。
20230728追記
M2は、隈がとがっていたからかくデザインされた、とも言い切れない。また、ポストモダン建築でありながら、他のポストモダン建築に対するカウンターでもあるとのことだ。やはり、未だ学がない。