見出し画像

『ガード下のオイディプス』 感想

10月28日の千秋楽に滑り込みで『ガード下のオイディプス』を観てまいりました。少し日にちが経ってしまったので記憶が薄れつつあるのですが、気ままに感想を綴っていきたいと思います。

謎は解かぬに限る

オイディプスによって謎を封印され、解かれ、問いかけられるようなそんな作品。
私はこの言葉がとても気に入りました。「謎は解かぬに限る」

愚かだったのでしょうか。謎が解けたら世界がなくなると言っておきながら自ら謎を解いて破滅へと向かってしまったオイディプス。
それとも勇敢だったのでしょうか。絶望に悶えながらも自らの目を潰して生きることを選んだオイディプス。

生きることが正しいのか
死ぬことが正しいのか
真実は一つだけなのか

最後にたくさんの問いを投げかけて去っていきました。私はこの問いにずっと向き合っていくのだと思います。そしてその答えは永遠に出てこないでしょう。解けぬ謎を解こうとしてみる悦びを得てしまいました。

無知でいることの幸せってあると思うのです。
知らぬが仏、という意味での幸せでもありますが、それ以上に「この世にまだ私の知るべきことがある」という使命感に似た何かは生きる上での原動力になります。
謎が謎のままであることを恐れてはいけないのです。それと同時に、謎が解けてしまった時、その真実がどうであれ真正面から向き合ってみる強さが必要なのです。オイディプスがイオカステを追って首を吊らずに、自分の目を潰して生きることを選んだように。

イオカステ様

大空さんが演じるイオカステ、本当に素敵でした。
でも縊首の場面は正直トラウマレベルで怖かった。舞台上手から大きな音がしたと思ったらイオカステが首を吊っていて、ぶらぶらと揺れる体が妙にリアルで目を瞑りたくなりました。首を吊っているイオカステを背に独白しだす大空さんがあまりに不気味で、その異様な光景に頭がくらくらとしてきます。

独白中、何度も「イオカステ」と「私」を言い間違える演出がありました。イオカステを自分自身だと思ってしまうほど役に満たされていたということなのでしょうか。

「イオカステは罪悪感で死んだわけじゃない。ただ生きるのが面倒くさくなっただけ」という解釈もなんだか腑に落ちました。死に重い理由なんてつけなくてもいい。ふと消えたくなるのが人間だと思うのです。近親相姦の罪深さに耐えきれなくなったというよりは、なんだかもう全て放り投げたくなってしまった。大空さんの芝居には説得力がありました。

3本足の犬

線路で昼寝をしていた犬が電車に轢かれて3本足になってしまった。盲目の老人はその犬のことを賢いと語る。

この場面もやはり、「謎は解かぬに限る」を表しているのだと解釈しました。
犬は「線路は電車が通るところ」という事実を知らなかった。つまり犬にとって線路は未知の場所だったはずです。線路の謎を解かずにその場で昼寝をした犬。電車に轢かれて3本足のまま歩くことは「私は無知です」と世に晒すのも同然です。それでも犬は生きている。勇敢で賢いのかもしれないと思いました。

そしてスフィンクスがオイディプスに囁く
はじめは4本 次に2本 最後は3本 これなんだ?
この問いとも重なるものがあります。
劇中オイディプスはこの謎を解きませんが、答えは「人間」です。

赤ちゃんの頃はハイハイ(4本足)で歩き
成長すれば2本足で歩くようになり
老いると杖を持って3本足となる

3本足になった時、この犬のように謎を謎のまま残せていられるだろうか。
賢い3本足の犬になれているだろうか。

全体を通して

実は私、小劇場へ足を運んだのは生まれて初めてでした。大規模な舞台が好きなものですから。
劇中、舞台セットは自動で動かず幕も緞帳もない。衣装も全く替わらない。そんな中身体表現だけでこんなにも心動かせる舞台が作れるのかと感動しました。客席と舞台の境が曖昧で、夢と現が混在しているその不思議な空間が愛おしかったです。

おわりに

この作品はそれこそ謎が多く、1回では咀嚼できない魅力的な作品です。千秋楽しか行けなかったのが悔しい!解釈違いなども多かったかと思いますが、私なりに思ったことをありのまま綴れて楽しかったです。
最後までお読みいただきありがとうございました🙇🏻‍♀️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?