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1月1日〜11日の間に思ったこと

(2024/01/18更新)


世に溢れるどんな情報も資本主義のボードに乗っかるから、たとえば闘病日記に書き残されたウイニングランのありさまさえ、ついつい憧れるかどうか、理想的か否か、正解か不正解かの視線を向けていることに気づく。サラーマトの記とその周辺の文章を読んで。




2024/01/11 12:37、今日も今日とてまだ起きないベッドの上で記す。
LINEニュース速報で齊藤京子卒業報。ここで齊藤京子かあ主に歌唱面でデカいなあなど。4月頭のひな誕祭で〆らしい。あと3ヶ月弱くらいて唐突!速!グループの急激な再編機運を象徴している。
わたしもそろそろ卒業いや離脱するのが、少なくとも一時的には、正しい、かもしれないいや正しいかな。一旦辞めさせてもらいます心。




小川哲の、君が手にする筈だった黄金について、みたいなタイトルの小説について語る林真理子のYouTube。関連動画から彼女のofficialチャンネルがあるんだって驚いて、小川哲がタイトルだったから踏んでしまう。
予想通り主は強そうなオーラで居て、対面する頷き屋の'従者み'からも、やっぱり相対的に強そうだった。
動画内でその従者、新潮社の編集長が何かでごじむにも出てる女性が、自身の恋愛に言及する際に、砕けたノリで慣れた口ぶりから自虐として「枯れてる」云々と笑って言った。
これを聞いたときの心情を以下にログとして残すが、その前に予め内心を表明しておくと、ここで言葉狩りつもりは全くない。むしろそれは意に反するくらいなのだが、当時の記録として日記様なものを機能させるのに、とりとめもないことを気分次第で書き残しておく方針からあえて記す。誰も見ないのに変な自意識、しかしこれも含め私的ログ、率直。
恋愛意欲が衰えたことを、フィジカル面の老いにも掛けて「枯れてる」と表現したらしい。掛詞で小粋なのはわかったが、反射的にポリコレ的にはこれどう見られるんだろうと思った。無性愛者、いわゆるアロマンティック/アセクシュアルのような性向の存在を念頭に。
個人的には、過渡期を過ぎてセクシャルマイノリティがただ少数派ってことで公に認知、定着したら、この手の反射的違和感も感じなくなると思うしそれを望む。2024/01/11 2:14いつものようにベッドの上で記す。




頑張ったことがないから、純文学が刺さらないのかな、のかも。人文の味が。教科書として、というか、フィクションの要請に感動している、というか。宇多丸がシネマハスラーのthere will be blood評内で言ってたような、イデアには感動するが、リアルな場面では全然泣けないという。10年以上前の彼曰く、それは現代的孤独とも。




2024/01/11記す。また無駄に1:35まで起きている。記録を書いて。現実逃避を続けているうちはずっと先を思うと胸が塞ぐ。そしてまた逃げる。このままでは最期、あ〜あって終わるに違いない。ここからいくらやったってあ〜あを拭えないかもしれないんだなと思ったら、リセマラ頭でまた塞いで逃げる。こうしてまた寝る。




2024/01/11記す。ダ・ヴィンチ恐山経由で知った、2023年注目記事を紹介する2時間強のYouTube動画より、興味をひいた「「亡き妻の写真」をAIで生成していることへのご意見について回答します(CloseBox)」という記事。
「人文や伝統に対置するものとしてのAIへのハレーションが先取られている内容で、執筆者も聡明なのがわかる」との動画内評だったので、一読し、世の中はこういう文章や記事作り、活動の記録から認知されるパーソナリティを総合して"聡明"と呼ぶんだなと確かめる。
その流れで9年ほど前に亡くなられたパートナーさんの闘病ブログを、おわり2本と最初1本合わせて読む。
スタンダード以上の文才で克明につづる文章が迫る。固有名詞や容態に覚えもあり、案の定涙腺が刺激される。あのときなんて言えば良かったかなとか。今言えるかな言えないな、愚かとか。必ずくる終わりを俺はどう迎えたいんだろうとか、その努力できんのかなとか、友だち多いな多趣味だなすごいなクリエイティブに囲まれてるなこれが正解らしいなとか、それと真逆な人生経験がなさすぎることへの軽い絶望とか、巻き返せるかいやそもそも巻き返す器か怠いな怠いとか言ってる時点でもうとか、俺の人生は何なんだろうとか、この人判明から短かったなあ彼女頑張ったなあいや寿命や生存期間で良し悪しなど測れるわけがないだろう愚かとか、桜蔭てめちゃ賢い?とか、夫さんの技術と愛のライフワーク人生謳歌してて前向きだな私には縁遠いだろうなないものねだりで憧れちゃうなとか、もし今宣告受けたら本当は自殺したいけど家族のためには生きなくちゃいけないのかななんか嫌だなあやばいなこの考えやばいなあ彼女に申し訳ないなあとか。
生きなくちゃ日記しかり、ある程度進んで闘病系を消費しようとしているきらいがある。命の尊さに触発され、奮い立たせたい気持ちがあるようだ。24時間テレビへの感動ポルノ批判をまさに彷彿とさせる。自覚がある。色々捻じ曲がってて、不健康な気がする。




外からの刺激を記録にしたためるのに抵抗がある。ヒリヒリする他人の反応から得る刺激に直接張り合わず、怖くて躱しているような心地。
彼が私の予定をああそうかと頷くような反応をしない。起業してもいいし応援するし、まだ若いんだから心と体を養ってさ、彼女も弟の方を心配してたよ頑固なところがあるって。
彼は私が口にした考えをどう思っているのだろうか。私のこの考えは2年前くらいから口にしたことがあったが、私の体調や性格が向かないから反対なのだろうか。昨今の情勢からその職に未来がないからだろうか。あるいはもっと稼げお前ならやれんだろを含ませた証しか。
ただ私も私で、ずっと引きこもっているせいか、外に出ていた頃の判定能力がはたらいていない感覚、私の理性が狂っている意識もある、何が正常なのかはわからないものの。
今の私からすると、イメージする起業のタフさ加減や、起業を目的に起業する空虚さはたまらない壁だ。
ここ数年が証明した私自身を意識せずにはいられない。つまりどうしようもない自堕落の限りを尽くした私の実の性向「受動態で右ならえする無能な、相当な臆病の怠惰」体験が、起業という選択をこれでもかと遠ざける。柔軟さや頑強さ、敏捷性、社交、体力、知恵、前提知識や技能ほか、無能が想像する企業経営に必須の要件に足腰から萎れる。
起業するために起業するみたいなことは愚かだと思うし、やる気がないなら死ぬだけだ。




しなければならない。何かしら動かなければならない。基準をよく確認せずに見落として扶養外れて。2024/01/10記す。




2024/01/08記す。タマフル放課後podcastの過去回で大放談。辻仁成氏の映画をこき下ろし、その流れで同氏の芥川賞受賞作、ひいては賞も同じように。
この芥川賞disに、勇気というのには大げさだが、こう、自分の好みを裏切れない態度も当然存在していいという真っ当な素直を意識した。
高橋ヨシキも黒穴切り抜きで言ってた、ここが好きを言語化することが屹立する映画評論家の肝と。他人の評価を聞く態度について、それが新しい知見なら評論文として楽しいし、評論と評論対象の創作物の好き嫌いは別個であると。また知識がなくて好き嫌いを決めていたと分かったら、その知らない知識は入れた上で決めようとも。(極意訳)




起業家、企業家の、手前に都合の良い弁舌が、どうしてもむず痒くなって気持ちが悪い。
荒波に対処するうちに自然と口が悪くなったり、自分に言い聞かせるように欺瞞を言ったり、体に似合わず着飾ってみたりしてしまう。してしまうというより、システムにさせられてしまう。そういう憧れに生きる人間を丸ごと受け入れる競争社会、資本主義はある意味人に、お題目「自由」にやさしいのか。
ただそういう面倒な背伸び奴の存在は、来る稀少な能力者の誕生のための必要悪だ、と言ってスルーするのも、厚顔無恥に口から出まかせ言う人間をことごとく嫌えるゆえに腑に落ちない。




2024/01/07記す。Audeeにて、余計なことまでやりましょう2024年新年丹生ちゃん復帰回。

弛緩した丹生ちゃんの言動に冷める。「うける/ありがとございまーす/(リアクションの元になった相手のボケワードを繰り返して)◯◯やばい/大人になりましたから」など。やってくれる彼女らに水をさす、怒られる感想を有り体に記録する。オフビートすぎて、一聴してもう半分降りたそうに聞こえてしまった。なんだか可哀想とダウナーな気持ちに。それが彼女らのリアルであり、ゆえにノイズでもある。じじいかよ。

もちろんかねてから続くアットホームラジオの魅力の表裏、それに加え私の体調も影響しているなどままならない前提も承知のうえ。まだアイドルは基本表で楽しみたいレベル。無理に上げるつもりはないし、リアルを考慮した、「好き可愛いビジュ云々の類いは極力言わない、直接には必ず言わない」という自分ルールは守っている。

ひなあいから始まったドライブ1年半、一旦終わりかななど。




ネガ⇒ポジでセーフティネットの話
マシンガンズ滝沢が違法薬物使用者の社会復帰について曰く、「働き口がなければ皆が見放してることになるよね〜」と。
対して西堀「いやそれは飛躍しすぎじゃない?だって成人したのに薬やんのは自分の責任だし、前科者を会社が選ばないのも無理はない。じゃあやんなよって言いたい〜」と。(大意)

自由ってそんなに尊いものなのかな。自由って生まれながらにして頂戴する権利とはいえ、なかなか乗りこなしづらい乗り物という体感がある。
現代の自由を買い被りすぎていないだろうか。今を自由な社会と謳い、同時にカオスを極力拒み安定した治安も実現したいぶん、余計に(先天的・後天的問わない)環境要因や生理的要因(=主に精神疾患と認定される要因も含んだ心理的要因)によって、不自由に自由を行使した人間を切り捨てたくはなる。

責任の重さが安全や治安に寄与しているとして、さあいかに。自由のありがたみを知らない現代人の悩み。




行きつけのスーパーがまた一軒、来月末で閉店するって。「長年のご愛顧に〜」と外装広告。
そうかやはり死は近づいていた。一方で、歩く先に新たなマンションが建てられている。道理があるのか知らんが、一見して矛盾している。金を稼げと急かされている。2024/01/06記す。




「すぐ消す」、「多分消す」が消えない




LINEニュースネット記事タイトル「加藤綾子が第一子出産!」、怖。"!"が怖。ホラー演出に使える表現技法。




何も言わないことを約束して、好きな人が初めて経験した場面を追体験したい欲望
初めてエロを認識した光景や画面とか、死に触れた風景とか




ネット上コメント欄において、ある否定したいコメントに対してよく投げかけられている「◯◯(相手を様態を反対立場から言い表す体言ひとこと)、お疲れ様です」って表現は、着火を意図した悪巧みなのか、SNSしぐさの範疇なのか




大企業役員の肩書きをもつ他人を敬う発言に、嫉妬からくる苛立ちを覚える。
あとフリートークで「〜しつつ」「〜なんて思いながら」って表現を言いまくるのが耳につく。
2023/12/28放送分の松田好花のann0。河田登場前のジングルで「今日のは両足黒の靴下で〜」から入って、ゲスト紹介するまつだこは、河田の人物情報を補足せずに進んだ。たまたま聞いた一見さんへのホスピタリティは無かった。これはどうなんだろうな。そもそもアイドルラジオだからより内向きになるのもやむなし、との判断かな。ただタイムフリーや違法アップロードもあるしなどうなんだろう。
一応申し添えとして、全体的には肯定的に聞いた。




面白くないとかそれに類するコメントをしたときの、確実なレスバの多さは注目に値する。自分の面白いものを否定された不快だけでなく、そこには面白いと皆が思う、つまり資産的価値のあるものでないと、それを見た経験が時間的側面から損失に終わってしまうという強迫観念が暗に働いているのではないかなど。信頼が毀損される、催眠状態を意識させられる、思惑に反して正しくなかった判定を受けるのを強く嫌う志向がある。




脳盗新年生放送回。
冗長。内容やパーソナリティ、特に玉置の話術が生にはそんなに向かないような。放送コードとの距離感に不慣れなせいか、生放送で放談する魅力は全然出ていなかった。収録でソリッドにやる方が好き、今のとこ。まだ1回だけしか聞いてないから暫定意見。




一番をいっちゃんって、あれ嫌




(一部敬称略)


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