北海道旅行を終えて
今回の北海道旅行は、大切な友人の一周忌に出席することが主な目的であった。友人は東京に住み、長い闘病生活の末、突然の入院、そしてあっという間に旅立ってしまった。友人の入院の付き添い、葬儀やアパートの整理、支払い手続きなど、親しい関係であった私がその多くを親族に代わって進めた。
一周忌を迎えるにあたり、改めてその友人の存在と、自分自身の気持ちに向き合う時間となった。大事な友人として、最後の最後まで面倒を見たいという強い想いが、私の中にあったからである。
1. 友人の最期とその後の手続き
友人は病気と闘いながらも、普段と変わらない穏やかな日常を送っていた。だが突然の入院と体調の急変であっという間にこの世を去った。私にとってあまりにも急すぎる出来事であった。葬儀の手配やその後の手続き、生活していたアパートの整理――誰かがやらなければならないことを、私が引き受けた。
「最後まで見届けたい」という気持ちは、自分自身の責任感とも愛情とも呼べるものだっただろう。友人のいない部屋を片付けるとき、そこに残る小物や本、手紙などに触れるたびに、静かな時間の中で心が揺さぶられた。
2. 一周忌で感じた「区切り」
一周忌の法要は、私にとってひとつの区切りとなった。親族や友人が集まり、静かに故人を偲ぶ時間。形式としては「やるべきことをやった」という達成感があり、儀式が終わったときには「肩の荷が下りた」ように感じた。
しかし、心の中では少し違う感情も芽生えていた。「これで終わり」ではなく、むしろ「これからもずっと一緒にいる」という思いが強くなったのである。故人との思い出や、共有した時間は決して消えることはない。そのことに気づけたことが、今回の一周忌で得た大切なものだ。
3. 北海道と友人の記憶
一周忌の前に、私は一日札幌の街を回る時間を持った。ただ、気持ちが落ち着かず、結局軽く食べて、一カ所だけ軽く観光した。でもどこか気持ちは晴れず、心から楽しむ感覚とはほど遠いものとなった。
実は友人は北海道には長年戻っておらず、私も東京でずっと会っていたので、北海道は会話の中でしか登場しない場所だった。今は、少しずつその話の場所を訪れたりして、何気ない会話が思い出され、胸が温かくなったりしている。
4. 「心の中に生き続ける」ということ
「やるべきことは全て終えた」と感じる一方で、友人とのつながりはこれからも続いていく。目に見える形ではなく、心の中に生き続ける存在として、これからの人生に寄り添ってくれるのだろう。
人は、大切な人を失うことで多くを学ぶ。そして、その悲しみを乗り越えた先にあるのは、故人を想いながらも前を向いて歩く自分自身の姿である。友人が私に残してくれたもの、それは「日々を大切に生きること」の大切さなのだと思う。
まとめ:友人との絆を胸に
今回の北海道旅行は、友人との思い出と、これからの人生をつなぐ大切な時間となった。亡くなってしまったので、やってあげられることは限りがあったけれど、できることは全部やったつもり。悔しさ、悲しさは今もずっと残っているけれど、達成した喜びをきっとわかって貰える。これからも心の支えになって欲しい。