意趣返し
血の気の多い人とは、辞書で引くと興奮しやすいとか激昂しやすいとか、そういう特徴を持ち合わせていると出てくる。だから要するに、大声をあげたり暴力的になったり、問題が起きた時そうやって解決しがちな人を示しているのだろう。世間一般ではそうだ。しかし私は、それが正しい意味とは思わない。これではただ単に短気なだけ。対して、血の気の多い人を本質的に体現しているのは、ウチの夫だけがそうではないだろうか。
「すみません、これ5枚しか無いんですけど」
夫は肉の血が落ちないようにアルミ製の皿を見せつけながら、店員に告げた。
「申し訳ございません、すぐに新しいものに取り替えますので」
店員は頭を下げ、皿を受け取った。
「わざわざありがとうございます」
焼肉屋で注文した肉の枚数が少なかっただけで、コレだ。しかも自分から指摘しておきながら「わざわざ」と表現している。確かに同じ額を払うのならメニューの中で決まっている量を受け取ったほうが良いに決まっている。こちら側が物申すのも、全くおかしいことではない。しかし別に牛肉が滅多に食べられないほど節制を強いられる収入ではないし、それならば適当に有耶無耶にしても良いのではないだろうか。肉一枚分の金額を多く支払っても私はそこまで不満を感じない。
ひとしきり肉と、スープと、ご飯と肉と、デザートを楽しんで、私たちは席を立った。半個室の空間から通路に出ると、前を歩く夫が誰かをみていた。誰かをじっと、睨むように。いや、実際に睨んでいたと思う。視線の先には、おそらく同じタイミングで食事を終えた、男と女が一人づつ。この人がこうなる時は、何が起きたか大体わかる。
「あの、さっき盗撮してましたよね」
夫は二人に声を掛けた。このちょっとした小競り合いに近くの客が一人反応する。「あれ、遠藤清一じゃない? ほら、俳優の。知らない?」と、この発言を起点としてゆっくり注目が集まっていた。
「してないです。えっと、気のせいじゃないですか?」
男は否定した。
「いや分かるんですよ。ケータイの向きとか視線とかで。そういうのってこっちにはバレバレですからね?」
夫は言葉で相手を詰めながらついでに距離も詰めていった。争点が盗撮なだけに、この様子をカメラに収めようとするギャラリーはいない。
「なんなんですか? 自意識過剰じゃないですか?」
「だったらケータイの写真でも見してください」
「嫌ですよ知らない人に見せるなんて」
「じゃあ撮っていないと証明してみてください」
「なんでそんなことをしないといけないんですか?」
「例えば痴漢の冤罪がふりかかったら無実を主張しますよね。無実の証拠があれば提示しますよね。それが痴漢から盗撮に替わっただけです。冤罪なら無実を証明した方がいいですよ」
「………」
男は黙り込んだ。
「僕は盗撮は不愉快だと思っているだけです。でも別に許可さえとりにきてくれればいいとも思っています。基本的に写真は拒否していません」
そして男は、聞き取れそうもない小声で、おそらく悪態をつきながらエレベーターに乗り、出て行った。私たちはさすがに同じ空間に詰め込まれるのは気まずかったので、その男女を見送る形となった。「ごめんね騒がしくして」と夫は謝罪してきたのだが、もう大分慣れた。この手のトラブルは、俗にいう有名税なのだろう。非課税の私でも徴収の瞬間が不愉快なのはわかる。
エレベーターを待っていると、別の女性客が夫に声を掛けた。
「あ、あの写真お願いしていいですか?」
「いいですよ」
夫は快諾した。
私は、こういう人を血の気が多いと形容するのだと思う。問題が起きたら真正面から向き合い、真正面から解決に進もうとする。争いを好むとかそういう話ではなく、争いへの発展を恐れない。底なしの闘争心。見ていてヒヤヒヤする瞬間もあるのだが、その心意気があるからこそ芸能界で生き残れているのだろう。
夫には、周囲が見たら引くぐらい仲が良い友人がいる。その人とは別に幼馴染として長い間一緒にいたわけでも、青春時代を経て熱い絆で結ばれているわけでもない。ただ単に、たまたま大学生の期間に所属していた劇団が一緒だっただけ。卒業後の友人は演劇を辞めて就職しており、下積み時代を共にしたわけでもない。つまりはサークルやバイト先が同じだったのと、殆ど同義である。
「いつもすみません、お邪魔してしまって」
「いやいや、大丈夫ですよ」
玄関先ではいつもこの会話がある。
二人の休みの予定がカブるたびに、こうしてウチに来て食事をしたり映画を見たりしている。前回休みがカブった時も、前々回休みがカブった時も、ウチに来た。それと毎回、ちょっとお高い生菓子とか地方の特産物を持ってくる。それにしてもその程度の繋がりが今でも続いているのは、世間を見渡しても比較的珍しいのではないだろうか。
食事を終えると、大概夫はソファーに座って、友人は床であぐらをかく。
「最近入ってきた新入社員なんだけど、演劇やってたみたいでさ」
「へー、じゃあウチのプロダクションのオーディション連れてきて」
「やだよ、期待の新人なんだから。在学中に簿記の資格取ってたみたいだし」
特段酒を飲むために来ているのではない。愚痴をこぼすわけでもない。一頻り近況報告を終えると、夫は撮影予定の映画台本を取り出し友人に渡した。友人は集中して一気にそれに目を通す。いつも思うのだが、そういうのって他人に見せてよいものなのだろうか。彼が外部に漏らしていなければ、それでよいのかもしれないが。そして私の心配をよそに、友人は口を開く。
「ここのシーンなんだけどさ、この人物って殴りかかるほどイラつくかな?」
「んー、俺は急に怒るのがミソだと思ってる」
「でも共感しやすい人物像なんでしょ? 段々怒りを抑えられなくなってる仕草ぐらいは欲しいよ」
「なるほど」
夫はいつも言っていた。「あいつは俳優じゃなくて脚本とか演出やればよかった」と。かなりの量の様々な映像作品とか小説を読んでいるらしく、例えば世間の評価が悪い映画があった時にそれがどう良くなかったのか、どうすれば良かったのかを言語化出来る。それぐらいこの分野に精通しているのだ。だから夫はずっと頼りにしている。友人は友人で、芸能人の面白エピソードを聞けるから楽しいのだと。だから二人は長く連れ添っている。マナーも愛想も良いこの友人に対しては、私からも特に不愉快な点など無い。しかしそれでも、唯一止めて欲しい事がある。二人はたまに夜通し映画を見ており、演技の参考にしているのだと。確かに時々映像を止めながら色々話しあったりしているが、最終的には普通に歓声をあげて楽しんでいる。単純にうるさい。
翌朝…というか昼間際になって二人が目を覚ますと、夫は友人を駅前まで見送りに行った。
友人はまた1ヶ月後にウチに来るらしい。その日私は実家で法事があり、何日か宿泊してくる。後日、予定通り私だけ実家に帰ったのだが、その直前夫には騒がしくしないようクギをさしておいた。
実家から帰宅すると、夫がいつになく不機嫌だった。友人と喧嘩したのかそれとも私の料理の作り置きが良くなかったのか。「どうかしたの?」と尋ねても、「いやいいんだ」としか答えない。雰囲気から少なくとも私に向けられたものではないと察せられたのだが、いまいち詳しい理由がわからなかった。
その疑問は数日後、解消される。なんともまぁ不愉快なニュースが世に流れたのだ。
夫がいつものように仕事に出て、私も出勤の準備をしていた時。『遠藤清一、インタビュー中にマジギレ。関係者が語る彼の本当の姿』…テレビの画面にはそんなテロップが表示されていた。そして録音データも流れた。
「お前、なんだそれ。どっからそんな話持ってきたんだ? 適当なことばっか言ってんじゃねーぞ!」
夫の、怒りに満ちた声が全国に流れた。
ニュースの全容はこうだった。新作映画に関する取材から話が転じていき、どこかから聞きつけた『遠藤清一はゲイだ』という噂の真相を尋ねた。これに対し夫は、それを強く否定してしまった。こんな流れである。ニュース番組のコメンテーターは「記者が失礼な態度を取っていたのでは」とか「既婚者にする質問じゃない」とか味方寄りのコメントもあれば、「大人気ない」「威圧的な態度をとるのはよくない」と批判的なコメントもあった。
夫はこういう事を起こしてしまった時、大体後悔する。そして家で落ち込む。なるべく早く帰ってきて、話を聞こう。職場でも色々と私に詮索してくる人もいたが、それを振り切って足早に帰宅すると、夫はもう既に帰ってきていた。ソファーに座って、テレビを見ている。時刻はまだ夜6時半を少し過ぎたぐらいだった。きっと今日は事務所で今回の件の話をして、帰って来たのだろう。
「おかえり。早かったのね」
「あー、うん。色々あってさ」
「見たよ、ニュース」
「そっか、心配かけたな。ごめん」
「いいの、聞かせて」
私は着替えもせずに、夫の横に腰掛けた。夫はつらつらと話してくれた。
そもそもインタビューが始まる前に、友人から連絡があったらしい。雑誌の記者から「遠藤清一はゲイなんですか?」と聞かれた。そして駅から家まで一緒に歩く写真、家に入る写真、それを何枚も見せられた。その後に今度は、「貴方と遠藤清一、仲が良過ぎませんか?」と質問されたのだと。そこでは友人に、迷惑をかけてしまったと謝罪をして、気持ちを切り替えて取材に臨んだ。しかし自分の目の前の記者も「ゲイですか?」と質問を投げかけてきた。世に出回っていない情報の真偽をぶつけてきた事はとても作為的・恣意的に思えた。私がこの話を聞いても、確かに偶然にしては出来過ぎである。加えてその記者は「女性と結婚したのはゲイをカモフラージュするためですか?」と言った。夫は根も葉もない噂に不愉快な裏付けのストーリーに対して、怒りを表に出してしまった…。夫の話はこうだった。
テレビでは、質問したらいきなりキレられた、みたいな風潮になっていた。しかしそれは真実とは若干ズレているように思える。この出来事の前にあった内容を伝えてくれていない。そういうやり方に、私は違和感を感じざるを得なかった。
幸いにも、大炎上したとかそういう訳ではなかったので、芸能活動休止・謹慎みたいな扱いにはならなかった。記者の態度や友人への突然の取材も明らかになり、どちらかというと夫に味方する意見も多い。しばらくは周囲が騒がしい日々もあったが、それもすぐに消え去った。
なので、時間が全て解決してくれる…と思っていたのだが、若干の問題が残ってしまった。まず友人が夫に会いづらくなった事。そういう噂が流れた以上仕方がない。次に匿名掲示板やSNS上ではまだまだゲイであると決めつけている人が多く見受けられた事。そして、映画が一本流れてしまった事。これについては、結構面倒だった。家族の友情がテーマのだった作品に一家の父親役として選ばれていたのだが、あんな事があってはあまりにもイメージと合わない。まだ公開前だったので、夫の出演シーンに代役を立てて取り直す対応となった。
加えて夫に対し、違約金の支払いが命ぜられた。あまりにも理不尽な話である。なので、夫は決意した。
「訴訟を起こそうと思う」
「それがいいと思う」
食卓で聞かされた。私は夫の背中を押した。戦う時にはとことん戦う、そんなウチの夫は血の気が多い。
以前ほど大きな報道にはなっていないが、全国放送のニュースでもこのことは取り扱われた。「ゲイと汚名を着せられて仕事が減った」と、今度は正しい内容だった。数あるニュースのうちの一つとして扱い、他のコメンテーターが発言することも無かった。世の中にとってはその程度の興味である。
そこから夫は、色々と大変そうだった。まずこういう芸能界のトラブルに強い弁護士の先生を見つけて、訴状を用意して、先生のところに通い詰めて。その間仕事も仕事はしている。取材の記者が偶に、夫か私のところに来た。私の勤め先ではまたも詮索してくる人がいた。それでも夫はもっと大変な事をしている。私は美味しいご飯を作ったり気分転換に連れ出したり、可能な限り支えた。
そして長い時間を経て、勝訴を勝ち取った。
それから数週間後。ウチにとある手紙が届いた。
『貴方の今回の一連の訴訟は間違っている。本来は性の傾向なんて個人の自由でありそれを貶めることは人種差別と同義でしかない。ゲイと言われたからといって、それは名誉でも汚名でもない。ゲイ=汚名なのは貴方の思い込みにすぎない。貴方が自意識過剰に反応しただけで、記者には悪意もなかったはずであり、彼らを責めるのはお門違いだ。大体この件で関わっていた例の友人がゲイだった場合はどうするのか? 貴方は一方的に友人を傷つけただけだ。きっとその可能性を理解していなかっただろう。つまり貴方がゲイを嫌がっているだけ。その個人的感情を周囲に撒き散らし、押し付けただけだ。貴方のせいで、まるでゲイが汚名のような扱いとなってしまった。よって貴方を訴訟する。』