ゴルフを擁護する記事が多いし、ゴルフを嫌う人を否定する記事もある。それじゃあ溝は深まるばかり。

 私はいつも思うのだが、ゴルファーはゴルフを過剰に擁護している。私の友人との間にも、会社の先輩・上司との間にも、そして世論にもそういうゴルフへの擁護が溢れている。ただ、先ほども同じような旨の発言をしたが、そうすればするほど包み隠したい欠点の存在を逆に自ら認めてしまっている。そもそも擁護する部分に関しては私がゴルフを嫌いだと思うポイントばかり枚挙しているので、それはつまり世の人たちも私と同じ意見を持っているのだろう。大多数がそう思ってしまうということは、要するにそれが世間の印象でありゴルファーが受け入れるべき事実だ。その上、その擁護の内容に至っては、私からすると欠点の穴だらけ。今からその穴を順番に言論というドリルでどんどん広げていく。

①ゴルフは健康に良いという擁護
 多くのゴルファーが真っ先に挙げる擁護が、健康についてだ。大人が不健康になっていく理由が運動不足である。そのため、スポーツであるゴルフを始めることによって運動の習慣が生まれるという理屈の展開だ。見る限りゆったりとしたテンポで進む競技ではあるが、打ったボールの落ちている地点まで歩いて移動する場合が多いため、その歩く距離が長く良い有酸素運動になるらしい。なるほど言わんとする事は分かる。ただ、私はこの理屈を聞いた時とある漫画のとあるセリフを思い出した。それは料理漫画で、二人のどちらが美味しいメロンパンを作れるかを審査する展開の中でのものだ。『それはメロンが美味いのだ!!!パンで勝負しとらーん!!』こう言われた登場人物はメロンパンに高級メロンの果汁を使って勝負したのだが敗北した。対し勝者はメロンパンの構成要素であるパン部分とクッキー部分に工夫を凝らし、メロンパン全体の革新さで圧勝したのだ。私が言いたいのはつまりこうだ、『それは歩行が健康に良いのだ!!!ゴルフで勝負しとらーん!!』。サッカーやラグビー、バスケ等どんな球技でもボールを追いかけるために全力で走る。歩くから運動になって健康に良いという理屈が通るなら、他の競技の方が圧倒的に運動量が多い。しかもドリブルやタックル、シュートやパス、どの運動も走りながら行われる場合が多く、それらの球技は走る事とその球技特有の動作がきちんと連携されている。対してゴルフはどうだろうか。歩きながらクラブをスイングするワケがない。ゴルフは、他の競技と共通する動作とゴルフ特有の動作が全くもって連携していない。本当にゴルフが健康に良いと主張するならば、「スイングの動きは全身運動であり〜」や「グリーンを読むために屈む動きは股関節のストレッチになり〜」とか「カートの運転は腕の運動に効果的で〜」とかこのようなゴルフ特有の部分で主張するべきだ。それに、本当に健康への気遣いをするならカートを使うなよ。あと最近はセグウェイでフェアウェイ上も移動できるゴルフ場もある、もはや歩きすらしない。なのでゴルフが健康に良いという主張は通用しない。

②マナーを学べるという擁護
 ゴルフは紳士のスポーツだから礼儀を学べるという擁護もある。これもまた愚かな発想だ、他のスポーツでは礼儀が学べないというような言い草にも思える。そもそも少年野球連盟の目的でさえ『硬式野球を愛好する少年に正しい野球のあり方を指導し、野球を通じて心身の錬磨とスポーツマンシップを理解させることに努め、規律を重んじる明朗な社会人としての基礎を養成し、次代を担う少年の健全育成を図ることを目的としています。』と述べられている。礼節を持った人間を育てるのは特段ゴルフの突出した得意分野というワケではない。
 ゴルフにそのような代名詞を使われるようになった理由は、ゴルファーの性善説によるものだ。この競技には審判がおらず、スコアや反則をジャッジする第三者がいない。よって、本来であればいつでもいくらでも不正を行える、けれどゴルファーは紳士としてそのような行為には手を出さない。これが紳士のスポーツと呼ばれる所以だ。さて、本当に不正を『いくらでも』行えるのだろうか、いや私はそうは思わない。結局のところホールを回っている間は他の人間がいるし、キャディーさんもいる、大会であれば観客もいるしテレビ中継もあったりする。誰かしらがプレーヤーを視界に捉えているだろう。であれば当然、不正は行えてもバレるリスクは付き纏う。あたかも自分で自分を律する必要があるかのような表現をするが、結局のところ世間体や周りからの評判を気にしている悪目立ちを極端に恐れた大学一年生と同じ精神領域なのだ。しかもスコアは自分とは別の選手が記録していく。別選手への申告の際に虚偽の値を伝えるのも、これもかなりバレやすい不正だ。なので、審判はいないけれども審査する人はいる。もし本当にゴルファー性善説を唱えたいのであれば、登山家のように完全な自己申告制にすればいい。登山にも審判はいない。それに勝ち負けをつける競技でもない。だからこそ登ったかどうかは自己申告であり、頭頂に辿り着いたと証明する写真を自分で撮ったりするのだ。それと同じくゴルフも、一人で勝手にコースを回り、誰にも見られないままスコアをつけて、ホール中での行動をビデオに撮り、その結果を競わせるべきだ。
 確かに林の中に打球が入り、その中でボールの位置を故意に動かす等のバレにくい不正はある。しかしそれはどのスポーツも、バレにくい不正は存在する。元々そのような不正を行う人がゴルフを始めた途端にやらなくなるとは考えにくいだろう。ゴルフをやっているから紳士なのではなく紳士がゴルフをやっているだけなのだ。
 しかし一つだけ認めたい部分はある。ゴルフはおそらく子供の教育に良いだろう。負けず嫌いの子供や自己防衛のために嘘をついてしまう子供は必ずいる。それは子供の性格や教育の問題ではなく、単に「そうした方が良い」と本能的に理解しているからこそ、本人たちにとって正しい選択をしているまでだ。ただ、嘘というのはその場しのぎの処世術に過ぎない。長期的な目で見た場合は正直に生きた方が得は多い筈だ。だからこそゴルフのような不正を簡単に行える競技を通じて自分を律する重要性を大人が伝えれば、立派に育つ…と思う。ただし逆に、既に成長し人格形成が完了した人にゴルフをやらせても不正をする人格から不正をしない人格に変わるとは思えない。そもそも、ゴルフを始めた程度で不正を辞められる人間ならば、別の方法でも不正を辞めるだろう。

③下手でもワイワイ楽しめるという擁護
 マナーや健康以外にも、『ゴルフはプレー中にお酒を飲んだりお菓子を食べたり、さらにはタバコが吸えちゃったりもします』という擁護がある。この擁護はもはや論外だ。確かに大空のもと気心の知れた人間と酒を飲んだりするのは楽しい。だが、①と②を思い出して欲しい。ゴルフ擁護派はゴルフが健康に良いと主張している。なのに不健康の権化である酒やタバコには肯定的だ。礼儀を学べると主張している。なのに食べカスや吸い殻が競技場所を汚す可能性には目を瞑っている。自分で自分の主張を破綻させている。これほど愚かしいことはない。

④ゴルフを嫌う人を否定するという擁護
 正直なところ、①②③は自分でも屁理屈をこねている自覚はあった。しかしこれだけは本当に許せない擁護があった。「ゴルフが好きな人は結果をじっくり求めて我慢が出来て大成する人、ゴルフが嫌いな人は根気が無くメンタルが弱くなんでも諦めがちな人」これは私が曲解しているとかでもなく、本当にこのような主旨の記事があった。これを書いた人は何を根拠にこれを主張したのだろうか。正直言って腹立たしい。
 まず前半の部分についてだが、結果をすぐに求めて何が悪いのだろうか。慌てずじっくりやるのも分かる、地道な努力が大事なのも分かる。けれど、本当に結果を求めるのでれば一秒一秒を必死に生きて必死に前に進むために力を尽くすのも一つのあり方だ。出来ない自分を、下手な自分を決して許さず、常に自分を厳しい目で見て成長してきた人もいる。今の資本主義社会である以上結果を慌てて求めてしまうのは当然だ。何も考えずに「明日できるようになればいいや」なんて楽観的なことばかり考えている人間はきっと中途半端な結果しか残せない。
 スポーツ選手が練習しすぎてオーバーワークとなりその成果がきちんと現れない場合がある。だがそれは、『慌てているから』が直接的な理由ではい。正しい知識を持っていないからだ。本当に結果を最短で残したいのであれば、最良の選択を常に取り続けるので、オーバーワークは防げる。結果をじっくり求めて危機感もなく慌てていない人間は、一朝一夕で身につかなから、等と言い訳を残して今日やるべき事を後回しにする。筋トレやダイエットに言い換えると非常に分かりやすい。これらはすぐに結果が現れないからといって今日やるべき活動・運動を後回しにしていたら目標となる体型には絶対に近づけない。結果を残す人間は、その日やるべき内容の最善の選択肢をとり続けてそれを継続した者なのだ。こう考えると、ゴルフが好きな人は今日一日やるべき事に向き合わずダラダラ過ごしてしまう人が上手くなる競技ですと言い換えられてしまう。
 根気が無くメンタルが弱いというのもよく分からない。この後記述するが、ゴルフのつまらなさはもっと根本的な部分に存在すると私は考えている。個人の感覚で合う合わないの問題ではなく、一つの競技としての圧倒的な欠点だ。苦い食べ物を苦いと思うのは根気やメンタルの問題ではないのと同じだ。
 また、それとは別の視点での問題もある。まず、この記事の作者の言わんとすることへの理解はできる。何かを始めた際にすぐに成功する訳ではないのである程度の我慢は必要で、それを続けられないのは良くない。ただ冷静に考えて欲しい。ゴルフは多くの人が社会人になってから始めるだろう。ゴルフ大会の日は出張手当も出ない。練習には金も時間もかかる。別に会社がその経費を持ってくれる訳じゃない。ゴルフのおかげで出世して給料が上がるかどうかは非常に曖昧だ、というよりほぼ出世とは関係ないと思われる。結果を出したところでほとんど意味も無いのに、自分の人生の自由な部分を侵略してくるモノに対して上達するための時間を割かなければならないのだ。これだけの条件が揃っておきながら、嫌悪感を抱かない方が人間としてどこかおかしいと私は思う。ゴルフをやっている人間の状況や背景を全く想像せずに理論を展開してしまっているので、こんな理屈を作り上げてしまうのだ。
 私が思うに、「ゴルフが好きな人は結果をじっくり求めて我慢が出来る人、ゴルフが嫌いな人は根気が無くメンタルが弱い」こんな主張をする人は、自分とは違う意見を持つ人間を徹底的に忌避し差別的な偏見を持つ物差しが短くて器も小さな話もつまらなくて他人に好かれも嫌われもしないという最も哀しい立場で生きていてより見栄えのいい意見を迎合するしか能がない主体性の消え去った意見を語る資格もない輩だろう。

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