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誰のためのボランティア?

今から20年近く前の話ですが、スペシャルオリンピックスのトーチランに参加したことがあります。

当時、勤めていた会社で、労働組合の役員をやっている同僚(先輩)から、組合として参加するからと、誘われました。スペシャルオリンピックスについて、それほど理解があるわけではありませんでしたが、いい経験になり、少しはアスリートの支援になるかと思い、参加しました。

その頃、マラソンをやっていたので、一緒に走ることを勝手にイメージしていましたが、基本は歩きでした。会社の労働組合の上部団体の方が、慣れた様子で仕切っていて、「私たちは、○○労働組合です。スペシャルオリンピックスのトーチランを行っています。」というようなことを、大音量のスピーカーで言っていました。私たちは、労働組合の旗を持って「アスリート、ファイト!トーチランファイト!」と言わされていました。

役員の人から、「もっと大きな声で」などと言われました。みんなで、大きな声を出していると、高揚感が得られ、ある意味、楽しい部分はありました。しかし、一体、何をしているのかわからなくなってきました。トーチランに参加しているというよりも、デモ行進か何かに参加している気分でした。「アスリート、ファイト!」を「賃金、アップ!」とかに言い換えた方が、しっくりくる気がしました。おそらく、役員の方が慣れている感じがしたのは、デモ行進などの経験があるからでしょう。

トーチランは、大きな駅についたところで終了しました。駅付近には人が多いためか、「私たちは、○○労働組合です。」や「アスリート、ファイト!」という声も、いっそう大きくなりました。

駅に入るには、階段を上る必要があります。トーチランの先頭を歩いている障がいのある子(アスリート)は、足が不自由なようで、サポートなしでは、上れませんでした。その子は、上るのに時間がかかっていましたが、誰も立ち止まることなく、行進はどんどん先に駅の階段を上っていきました。

「アスリート、ファイト!」と言っているけれど、アスリートを応援するつもりはないのか?結局、アスリートを利用して、自分たちの組織のアピールをしたかっただけなの?

私の頭の中のもやもやが、頂点に達しました。今まで歩いてきたのは、何のためだったのか?組織の知名度やイメージアップのためというのは感じていたけれど、せめてアスリートに少しは思いを寄せてほしかった。(私自身も、アスリートが気になりながら、行進の流れにしたがい、一緒に階段を上っていったので、とやかく言えませんが。)

今になって思うと、元々、階段の下で、アスリートの方のトーチランは終了して、残りの参加者だけが階段を上るという段取りになっていて、その通りにしただけかもしれません。それにしても、労働組合の参加者とアスリートの間の接点は、あまりにありませんでした。

人のために役立ちたいという善意からスタートしても、気がついたら、目的が変わっているということは、よくあります。途中で変わってしまうのか、最初から利用しようとする人がいるのかは、わかりません。組織となるとおかしいと感じても、簡単に止めることはできません。その場の空気に流されず、目的や自分軸を見失わないようにしたいものです。

なお、スペシャルオリンピックス自体や関連する活動に誠実に取り組んでいる方を批判する意図はありませんので、誤解なきよう、お願いします。

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