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科学を語る② 科学の定義
前回、科学の目的をお話しましたが、では、何をもって科学というのでしょうか。ある科学者は科学の定義として、実証可能性と教育可能性をあげています。
まず科学は「いつでもどこでもだれでも実証することができる」ことを研究の対象とします。
よく、宗教の教えや伝承は嘘っぱちだ、超能力なんてインチキだ、と息巻く人がいます。私はそうは思いません。例えば、イエスさまは湖の上を歩くなど様々な奇跡を起こされましたが、それらはイエスさまだけがお出来になることなので、嘘っぱちかどうかは科学の研究対象ではないのだと私は考えます。
それから、科学の研究や実績は「いつでもどこでもだれでも学ぶことができる」ものです。書いた論文がどれだけ他の科学者の論文に引用されたかで、科学者の評価が決まるくらいですから。
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それでは、実証できないものは、科学ではないことになるのですが、では、宇宙のはじまりといわれるビッグバンはどうなのでしょうか。
なにせ宇宙のはじまりですから、直接、実証することはもちろんできません。ですが、宇宙の創造主はいろいろな手がかりを残してくれました。宇宙背景放射もそのひとつです。1964年に宇宙からの電波として発見された宇宙背景放射は、ビッグバンから間もなく発せられた光の名残りと考えられ、ビッグバンが起こった証拠とされています。
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このように、直接実証できなくても「外堀を埋める」ことで「城を落とす」のも科学のひとつの在り方です。
目には見えない原子の存在を、揺るぎないものと考えるのも同様といえます。