おじいちゃん
23年の人生にして味わったことのない信じられない、いや信じたくなかった不思議な感覚からもう8ヶ月も経ったのか。
人は本当にいつか亡くなる日がくる
ことを身に染みて感じた2月の寒い冬。
あの日の連絡は、平日の、朝で、兄から、だった。
どこをくり抜いてもただの出来事ではないことは悟ったけど不吉な予感だとは電話を出るまでの一瞬では分からなかった。
おじいちゃんは強くて健康で元気で長寿だったから。
こんな世の中だからたしかに頻繁には会えてなかったけど、元気なんだろうという根拠のある自信があるくらい帰るといつも変わらない姿を見せていた。
現実ではあるけれど実感のない不思議で心地のしない帰省。
もう会えない人に会いに行く
新幹線から降りて実家に着くと、あんなにも元気だったおじいちゃんがびくともしなくて話しかけても返事もしない。
そこでようやくおじいちゃんが亡くなったことを認識した。
とても歳とは思えないほど艶やかで安らかで綺麗な顔をしていた。おじいちゃんの手だけは長い人生で頑張ってきたことを物語っていた。
その日は思う存分一緒にいてずっと起きていたけどまだいかないでといっているかの様に蝋燭の火が消えることはなかった。
ちょっと厳しくて私に注意が多かったおじいちゃん。今になってそんなことすら宝物だったんだと気づく。
生きていれば忘れがちになることの方が多い。だから何気ない日常でも実は大切な1日なんだなあ。
今日は天気が良くて東京の夜なのにいつもより星が多く見える。
これからの人生も考えながら、1番遠いおじいちゃんを思い出しながら夜空を眺める。
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