それでも、生きたらいいじゃない◎
無くしてしまった習慣は取り戻せる
辞めたいと思うのに辞められない習慣があるけれど、辞めたくないのに辞めてしまった習慣もある。
前者については意志をもって辞めてしまえばいいだけの話だけれど、後者は悲しくてたまらない。
なんで辞めたくないのに辞めてしまったのかといえば、体調不良とか家計苦、予期せず起こった出来事に心も体も振り回されて、そうなってしまう。
一旦そうなってしまったものは仕方ない。でも、ドタバタが落ち着けば、本当は続けたかった習慣をある日突然思い出す。
思い出したなら、再開すればいいだけだ。
そう思うところだけど、再開しようにも、一度、MY習慣から脱落してしまったルーティーンの復活はカンタンじゃなかった。でも、諦めなかった。コツコツ、コツコツ。(コツコツ積み重ねたいことは、本当に「コツコツ!」って声に出して自分を励ます)
それが、わたしの「書く」こと。
去年の8月からのコツコツ習慣カムバック作戦は、たぶん順調だけど、まだ危うい。でも、わたし負けナイ。書くと思い出すんだもん。好きだって。好きなのに、なかなか書けない理由も分かってる。その”エゴ”に負けるもんかと、大切なものを取り戻すために、今日もコツコツ。
スタバで書く
日本、世界各地に数多のスタバあれど、”書けるスタバ”は実は多くなくて、あちこち巡って探す。京都居住歴6年、わたしの京都での書けるスタバ1位はLAQUEのスタバ。(これを書いてるのは、梅小路公園のスタバだけど)
世界が変わるカーテン
部屋のレースのカーテンが、数ヶ月前にビリッ!と破れた。でも、破れたのは下の方だったし、その時は予算も乏しく、引っ越すかもしれないから新居に合わせて新しいものを買おう、と考えていた。でも先日、そのレースのカーテンを買ったお店を何となく覗いてみたら、めちゃくちゃときめくカーテンに出逢ってしまい、迷いに迷いったけれど購入。家に帰って早速付けて見てビックリ。カーテンを替えただけなのに、部屋が全く変わってしまった。とても明るくて爽やかで気持ちよくて、窓が大きく見える。こちらのカーテン、柄物ですが、光の当たっている部分は透けて外が見えて、光が当たっていない影の部分は模様が見える仕様になっており、晴れたら空の青はよく見える。
部屋の中の邪気は特にカーテンが吸うというから、洗うのもいいけれど、新しいものに交換することで、部屋のエネルギーが一気に変わる。(ベッドのシーツ・枕カバーも邪気が溜まりやすい)
知っていたことだけど、ビフォアー&アフターが劇的過ぎた。こんなことなら、はよ替えとけばよかった。新しく付けたカーテンを気に入り過ぎて、しょちゅう窓の方を見る。
ひとつ、このカーテンを買った時に気になったのが「Color. ピンク」と表記されていたこと。・・・ピンク?どちらかと言えば、水色。まぁなんでもいいやと思うものの、カーテンを見る度に「ピンク?」と思ってしまう。(カーテンは「Madu(マディ)」さんのもの←ずっと”マドゥ”だと思ってた)
本屋「丸善」と元祖・早矢仕ライス
京都に住んでそこそこ経つのに、お気に入りの本屋さんを見つけられずにいて、ようやく。BALには何度も行ってたのに、地下は降りたことがなかった。本屋さんがあることも知ってたのに。先日、ふと行こうと思い立って行ってみたら”ツボ”でした。めちゃくちゃ楽しくてウキウキ。併設されていたカフェで早矢仕&カレーオムライスも頂いた。生まれるずっと前の過去にタイムスリップしたような不思議な感覚になるカフェだった。
移住先の候補
ずっと迷っていた次の移住先候補が遂に絞られた。今のところ、静岡~伊豆に狙いを定めています。2月には、現地へ行って旅をしつつ不動産屋を覗いてみる予定。静岡、地図やガイドブックを見ていて思ったのは、わたしの愛する高知に似てる?ということ。土地の形状、特産品、山の様子・・・、似てる。行ってみたら全然違うと感じるかもしれないけど(実際、違うしね)もしかしたら、とても好きになるかも♪な予感( *´艸`)
個人事業主の楽しい確定申告♪
2月の確定申告の受付がスタートした瞬間に提出するべく、領収書の整理を二日かけて完了し、やったー!今年も終わったー♪と思っていたら、この本に出逢った。
個人事業主の確定申告・税金・年金・保険、等々、とてもわかりやすく解説されていて、しかも、めちゃくちゃおもしろくて感動!!
「よくわからん」「めんどくさい」と思っていたことが「めっちゃおもしろい!」に大転換してしまい、興奮。あやふやなことが、ハッキリ明確になるって気持ちイイ。知らないことを知る瞬間が楽しい。勉強は快楽。
提出する前でよかった。修正できる。そして、今年度は学んだことを活かしてバッチリな帳簿作り&領収書整理が出来るっ♪
楽しくないことを、どうやって楽しくする?
楽しいことが、楽しいのは当たり前。
楽しくないことを、いかに楽しくおもしろく出来るかを考える・工夫する。
例えば、暮らしや仕事でよく使う道具たちは、お気に入りのものを用意する。部屋のインテリアだって着る洋服だって何だって、自分の人生を楽しくする魔法のアイテムで、相棒、仲間。
確定申告は、最初から楽しくて好きだけど、カワイイと思う電卓やホッチキスを用意したら、もっと楽しくなった。
「この仕事、楽しくないな、おもしろくないな」と頭をよぎっても、先ずは「この仕事のおもしろいところは何だろう?」とか「どうすれば、この仕事が楽しくなるかな?」と考える。考えて、工夫する。わたしは、バイトに行く前に必ずコンビニに寄って、アイスカフェラテを飲みながら、イイ気分で職場に向かうことを徹底していた。
いろいろ工夫しても、どうしても楽しくない・おもしろくないとなれば、辞めます(笑)
「願う」は自力/「叶える」は自力+他力
所持金があってもなくても、環境をすぐに変えられなくても、選択と行動と向かう道は、いつでも変えられる。不満や弱音を吐いて捨てたら、その後には自分の本音を受けとめて、本望を願う。
願いが叶わない原因は「叶えられない」のではなく「願わない」から。願うことは自由なはずなのに、エゴやら習慣やら他人の声でジャマをして、願うことをやめてしまう。
「自分にやさしくする」ことの第一歩は「何を願っても、それを許す」こと。自分が心からの願いを「ムリだ」「ダメだ」と考えてしまう理由を知って、あとは、願える自分になれるように、コツコツ波動調整。(わたしは呼吸と瞑想にお世話になってます)
行動するかどうかは後で考える。その行動は、自分をしあわせにするのか?を踏まえて選択すればいい。その、前段階の「願うこと」「思うこと」は自由に。
「願う」ことは、自分にしかできない。
その人の本当の願いが何なのかは、当人にしか分からないから。
でも、自分の本当の願いが分かって、それを心から願うことが出来れば、その後の「叶える」は、たくさんの他力に助けてもらう。
今日まで、たくさんの願いが叶って思うのは、自分一人の力で叶えられた願いなんて唯の一つも無い、ということ。
願う時は、いつも一人。だけど、自分が願いを掲げたら、たくさんの人に出逢って、その人たちが助けてくれて、奇跡のようなガイドや直感に運ばれて、叶う。
願いが叶った景色に立った時、たくさんの人に助けてもらって支えてもらって、ここまで来られたのだと分かって震える。
だから、叶えたい願いを見つけたら、一人で頑張ろうとしない。
願うことは、物語のプロローグだけれど、願わなければ物語は始まらない。
願って叶えて、たくさんの人に感謝したい。そんな人生にしたい。これも願い。
ただ、生きてるだけでいいじゃない
時々、ふとした時に、生きる理由が思い浮かばなくて苦しくなることがある。これまで、たくさんしんどい思いをしたから、この先も、そんなしんどい思いをするなら、生きるの辛いなぁと思ったりする。
それを、なんでかな?と考えた。
生きるためには、生きる理由・生きたい理由がないとダメだと思ってた。
仕事をしていないとダメだと思ってた。世の中の役に立っていないとダメだと思ってた。稼げないことはダメだと思ってた。
・・・出るわ出るわ、自分を不快&不自由にする自縛的思考。
いや、そんなことないよ。
生きたい理由がない?でも、自分の体をじっくり感じてみたら、心臓が動いていて、体中に血が巡っていて、温かい。
自虐的・自暴自棄な思考に陥った時は、自分の心臓を感じてみる。そうすると、頭で何を考えようと、体は一生懸命、生きよう・生かそうとしていることを感じて、愛おしさが溢れてくる。
わたしの心臓が動いているから、わたしは生きる。ひとまず、それでいいんじゃないかなと思う。
自分で、生きることに条件を付けまくって、それを満たさない時に自分を責めまくる。
これが、しんどくなる理由。
そこまで考えたらスッキリして「ただ、生きてるだけになっても、生きたらいいじゃない」(だって、心臓動いてるんだもん)と思った。そう思ったら、なんだか可笑しくて笑ってしまった。
これは「何もしないで生きていく」という決意表明ではなくて、しんどくなった時、辛くなった時に、自分をラクにする、息をしやすくするための、やさしい魔法の言葉。
アレコレダメダメ星人になったら、街を歩けない、人に会えない。だって、何かや誰かを見るたびに自分を責めるから、めちゃくちゃくるしくなる。
そうなってしまった時の処方箋が「もうええやん、それもええやん、なんでもええやん」
生きてるだけでいいじゃない、って自分に声を掛けたら、ラクになって息が出来て、そうしたら、生きたい理由が見つかるかも。
頑張らなくていいよ、と言われると、頑張れるみたいに。
「生きてるだけで丸儲け」という言葉があるけれど「生きてることが丸儲け」だな。
わたしの思考は、最終的にそこに着地した。
人生、楽しい方がいいなと思う。
生きる意味とか目的を持ちたいとも思う。
だけど、楽しくなくても、目的や意味を持たなくても、それもええやんと思う自分になりたい。
願いは、叶えようとする前に、願うことから始める。
「ただ、生きる」ということだって、自分の体の切なる願いなのだから、それはつまり、日々、生きるだけで、毎日、願いを叶えているということだ。案外、自分、すごいかも?