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ことばをテーマに②

4歳まで話さなかったのに、
7歳になったら、もうひとつ
言語を使わないと生きていけない
環境になった。家族で海外へ行った。

観光ではなく生活をしていると、
学校でも、街角でも、お店の中でも、
「あなたは外国から来たから、
言葉がわからなくても仕方ないわね」
などという「配慮」はほとんどなかった。

英語圏は、7歳の私に容赦がなかった。

ただ、泣いたり困ったりしている
暇もなく毎日は途切れることなく
繰り返される。

見聞きしたこと、身体で感じたことを
猛スピードで余すことなく吸収して
いくしかなかった。
その点、7歳はめっぽう強い。

半年、1年と経つと2つの言語が
日常にあることに慣れた。

新しい言葉について強烈に憶えている
ことをひとつ。

私が育った家庭は、人を家に呼んだり、
住まわせたり、訪ねていったりする
ことが多かった。国が変わっても、
それは同じだった。

父の友人(イギリス人)一家が
住む郊外にときどき遊びに行き、
そのファミリーに溶け込んで
遊ぶのが好きだった。

自分の家族から離れ、私一人で
彼らの車に乗って出掛けたときのこと。

車の窓から雄大な自然美を眺めていたら、
「イギリスの風景は好き?
どう?きれい?」
とお父さん(仮にMさんとしておく)
に聞かれたので、
私は至ってシンプルに
「Yes」とこたえた。

10秒ほどの沈黙のあと、Mさんは
「美しいな、きれいだなと思ったときは、
その気持ちを言葉にいれた方がいいよ。
そうしないと人には伝わらないよ」

大体そんなことを言われた。

やや説教くさかったが、今まで
そんなことを言われたことが
なかった私には、かなりの
衝撃だった。
言葉から滲み出た何かが、
じわじわと全身を埋め尽くして
いくような感覚になった。

どこか恥ずかしかったし、
鼻の奥がツーンとなった。

Mさんの子どもが、「この子は
英語がまだわからないんだよ」
とフォローしてくれたが、
それが理由ではないことは
私自身が一番よくわかっていた。

それ以降、家でたびたびMさんの
言葉を思い返し、そうだ、なんで
あんなに美しかったのに、それを
表現できなかったのだろう。
悲しいし悔しい。そう思った。
伝え方がわからなかった。

表現できたらいいなという
感情が自然と芽生えた。
どうしたら表現できるのだろう?
という問いがうまれた。

今は、イギリスの学校の授業に
「ドラマ」があったことの意義が
よくわかる。ペアになって
ジェスチャーしたり、
劇(王道のシェイクスピアが
多かった!)の場面を役に
なりきって練習したり。

以下は、鴻上尚史さんの
『演劇入門』より抜粋。

「演劇では、「他人を生きる」
ことで他人と出会い、他人を
発見します。それは結果的に、
自分を見つめることになります。

中略 
「なるほど、こんな生き方があるのか」
とか、「こんな感じ方があるんだ」
「こんな言い方があるんだ」と
気づくことは、自分の人生を
揺さぶるのです。」」

伝え方が知りたくて、
伝えられたら嬉しくて、
想いや体験を人と一緒に
分かち合いたくて、
こうしてインプロ活動や
表現活動・言語教育に関わって
きたのかなと最近思っている。














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