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こうして英語に出会った⑤

遠い過去の経験を
振り返ってみて。

 どこで成長したとしても、
家族や友人や先生と笑い
合ったり、あるいはもめて
ギクシャクしたり、
日常を形成する
出来事に大差はない。

 自分の気持ちを
タイムラグなくストレートに
「英語」で伝えられない
歯がゆさや、それゆえの
すれ違いや勘違いは確かに
あったが、それは、例え
母国語同士の会話であっても、
同じことが起こり得る。

 そもそも、自分が経験
したことや感じたことでさえ、
時の流れや自分の心身の状況と
共に変化し、記憶は塗り替えられ、
ノンフィクションにフィクションが
つけ加えられた展開や結末で
保存されていく。

自分の心の奥底にあるものを
言葉にして表現するのは、
とてつもなく難しい。

 でも、そこへアクセスしようと
思わなければ、自分がわからない。
他者のこともわからない。

 私はいつも「言葉」に
強く惹きつけられる。

 言葉は「ただのツール」
だとよく言われるが、
そんな風に思ったことはない。
言葉は、ツールと呼べる範疇を
遥かに超える度合いで、
わたしのことを大きく振り回す。

 「言葉」を仕事にするようになって
22年。いまだに、あーでもない
こーでもないと深掘りしたり、
軽く投げてみたり、数日寝かせて
みたりして奔走している。

 たくさんの言葉を使って、
全力で伝えようとしてくれる
子どもたちと向き合っていたい。

 想いを言葉に変えられず、
沈黙を選ぶ子どもたちの
気持ちもじっと受け止めたい。

 言葉以外で伝えてくれて
いる想いに出来る限り
敏感でありたい。

人と向き合い、言葉を
交わし、学ぶ意味を
共に考え、喜怒哀楽
ひっくるめて生きていく。

母国語、そして
英語と出会った私は、
これからも「言葉」を
模索していこうと思う。
(現在、フランス語習得中。楽しい。)

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