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<一言コラム>谷ヤンとヨーロッパ・ツアー(第16回関連)
谷川氏によると、日本コロムビアは1960年代後半から1970年代にかけて、「コロムビア所属のアーティストとファンを引き連れて、ヨーロッパにツアーに行くキャンペーン」を行い、谷川氏自身も何度か手伝ったそうです。
「谷ヤン、お前、英語しゃべれるだろう。ヨーロッパ行ってくれ。」
「えー、また俺がやらされるんですか。」
「めったに行けるところではないだろう。いいじゃないか。」
「うーん、部長命令なら言われれば行きますけれども。給料上げてくれたら。」
出張は、上司とのこんなやり取りで決まったそうです。
アルテリア航空を使用し、パキスタン・カラチの空港でのトランジットも入るツアーの目的地は、ローマなどのヨーロッパ諸国。
谷川氏は、弘田三枝子や都はるみなどのタレントに同行し、こまごまとしたケアも含めて対応したそうです。ツアーと言っても、外国人向けのコンサート廻りではなかったようですが、撮影隊も引き連れた旅だったそうです。
*註1)
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1970年にも「有名スターと世界に飛ぼう!」という企画が行われており、レコードを購入したファンを対象に、ヨーロッパ(パリ・ロンドン・ローマ・カイロ)、グアム島、ハワイ、オーストラリアなどに招待するとの宣伝がされている。
1976年初頭のラジオ「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で、大滝詠一は、ファンに向けて『ナイアガラ・トライアングルvol.1』が「売れたら、ナイアガラの滝にみんなで行こう!」と話をしていました。
「ファンと訪れるナイアガラの滝巡り」は、ナイアガラ・レーベルだけでは、なかなか実現困難な企画ではありますが、日本コロムビアのレコード販売促進キャンペーンの一環として扱うチャンスがあるのであれば、『ナイアガラ・トライアングルvol.1』の売れ行きによっては実現の可能性があったのかもしれません(あながち無謀な夢を語っただけという訳ではなかったのかもしれません)。
また、飛行機嫌いの大滝詠一が『ナイアガラ・トライアングルvol.2』の発売後に、ファンとハワイ旅行するという企画を了承したのには、ファン思いの大滝には、"一度公言したものの、企画倒れに終わったファンとの約束を実現したい"という強い思いがあったのかもしれません。
もしも・・・
・『実録・ナイアガラ・ワールドツアー』が開催され、「ローマで月を眺める、コロッセウム・ヘッドフォーン・コンサート」や「亀淵昭信と行く”夢のハワイ"」ツアーなどが企画される。
・ローマの舞踏場で薄明りの中、「夜明け前の浜辺」や「名月赤坂マンション」が流れ、哀愁を帯びた駒沢スティールの音が浸み込んだ、月のしずくの1滴1滴が、耳もとで響きわたる。
・ハワイの海辺で、チブメーカーの紹介のもと、「外はいい天気だよ」が演奏され、駒沢スティールの音と波の音が入り混じる。
そんなことを夢想するだけでもワクワクし、また、レコードとして録音された音だけでなく、全国各地で行われたナイアガラ・ツアーで披露された音や出来事についても、ますます興味がわいてきます。
<参考文献>
「COLUMBIA RECORDS '70 7月発売新譜」 日本コロムビア株式会社 (1970)
2022.2.28 (2022.3.7, 4.5 UPDATED)
霧の中のメモリーズ
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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」
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「日本コロムビアの谷川恰と大滝詠一」(noteマガジン)