こどもとフィールドで地質学を学んでみた。水晶を発掘しよう【恵那市飯地町】
先日、笠置町のお隣の飯地町というところにお住いの「おぼちゃん」が、水晶探しをしているのを知りました。
もともと、恵那市は花崗岩の産地であり、あらゆるところに鉱脈があります。
このnoteではアフリカ一人旅、登山用具店勤務などを経て、現在はECサイト経営をしつつ恵那市笠置町にUターンし里山暮らしをしているわたし(佐藤あやみ)が、子育てのことや自然のこと、学んだこと、経験したことをアウトプットしています。テーマは「ともに生きる」。どうやったらともに生きるコミュニティを形成できるのか?ということを考えながら活動しています。
わたしたちの住む笠置山近くも同じく、石切り場がたくさんあります。
恵那市に住むわたしよりちょっと年上のひとたちに話を聞くと、「昔よく校庭で水晶拾ったわ~」とか「山に水晶堀りに行っとったよ」というお話がわんさか出てきて。
私自身はその経験があまりなかったので、うらやましいなと感じていました。
4月頭、我が家で「もぐりジャズバー」と題して、高野先生の作ったアンプでジャズドラマーの我が旦那さんセレクトのレコードを聴く会、というのをやったのですが。(この会はとてもとても良かった)
おぼちゃんをご招待して、その時に「水晶探し、ご一緒させてください!」とお願いしました。
↑おぼちゃんのチャンネル。田舎暮らしがめちゃくちゃリアルに表現されておりおもしろいです。石拾いですでにこんなに回数更新されている‥‥
早速に、おぼちゃんが石俱楽部なるものを立ち上げてくださり、第一回は飯地町の民家裏の山にて水晶探しをすることになりました!
もともと、地質学に興味があったわたしは息子に石の魅力を伝えたいな~と思っていたのですが、息子は石自体にはそんなにまだ興味が無く。
しかし、水晶は別です。
きらきらしていて特別感がいっぱい。
水晶探ししようよ!と言うとすぐに食いつき、ハンマーを握りしめ
「ぜって~水晶とってやる!」
とジャンプの主人公ばりの燃える目を輝かせてくれました。
飯地の山で水晶探し。
さて、当日は曇り。
メンバーはおぼちゃんをはじめ、名古屋大学環境学研究科の教授でいらっしゃる高野先生や、noteを書いているまりさん、それと地元の女性で猫探しと戦前陶器探しを得意とするくろがねちゃん。お知り合いのご家族。そして我が家4人。そして水晶山の持ち主の奥様でした。(奥様、久しぶりに水晶探してみたいわ!ということで一緒に参加。とてもノリが良い)
高野先生は、もともと地質学が専門でいらしたということで、事前にこの日掘る山の地質の情報を送ってくださっていました。
それによると飯地町の岩盤は、ジュラ紀(約2億年前)に由来するもの。はるか遠く太平洋の向こうにあったプレートが日本で沈み込んでいくときに作られたものだそう。
花崗岩は、8000万年前、恵那に超巨大な火山があったときのマグマの由来のものだそう。(恵那というか、当時は日本もまだなく、中国の大陸にくっついていたころの話なのです)
地質学の観点から行くと、人類が出てきたといわれる20万年前などは、「つい最近」らしい。それを聞くだけで、時の長さに目がくらみそうになる。
山を登り、2億年前のプレートの動きと、8000万年前の火山活動に思いを馳せて水晶探し。
山の頂点に来ると、あるわ、あるわ。
花崗岩にたまに現れるというペグマタイトという結晶がたくさん発見できました。
頂上にたまたま花崗岩が多いわけではなく、岩盤の硬い部分が山の頂点になるから、花崗岩が残っているところはテンコツだということ。
柔らかい部分は風化で削られてしまっているので、花崗岩が残っていない、ということ。
そんなことも考えたことなかったなあ、と、山にずっと暮らしているのになにも観察していなかったことを反省。
ちーくんもしんちゃんもハンマー片手に夢中で山を駆け回る。
お知り合いのご家族も、みるみるうちにたくさんの水晶を発見しています。
崖でおぼちゃんが拾った、密になっている結晶をいただきました。ありがとうおぼちゃん!
戦前陶器のたのしみ
戦前陶器を探すのを趣味としているくろがねちゃんが、熊手をもって土を掘っていました。
そこには、打ち捨てられた一見汚い茶碗たち。
それが、実は戦前陶器なのだそう。陶器、あるいはガラスなど。
昔は山に不燃ごみを捨てる文化があり、山に分け入ると高確率で戦前陶器などを見つけることができるそう。
割れていない、美しいものを見つけるとラッキーだそうです。
昔の薬瓶などは、いまでもアンティークで人気がありますからわかりやすいですが、茶わんやおちょこなども萌えるそう。
なんでも鑑定団が好きな私はちょっとその萌え、わかる。
たしかにうちの山にも、お皿など転がっています。今度うちの山でも探してみようっと。
チャートを発見!
チャートって、理科の教科書に出てきたな、というくらいの代物でしたが、何かと言うとプランクトンの死がいが積み重なったもの。数センチで数千年、という長い長い年月をかけた準化石だそうです。プランクトンが基だからか、柔らかくてチョークのよう。
実は以前、恵那市図書館の講座で「恵那市は8000万年前火山だった!」というのに息子と旦那さんが参加したことがあって、資料を見せてもらったのですが「恵那市はチャートが出ます」というようなことが書かれてました。
はじめてチャートを発見し「おおお~~これがあの!チャート!」と興奮するわたし。
「チャート」…教科書では読んだことがあったけれど、チャートがどうやってできるかに思いを馳せたうえで、さらに探して見つけると、嬉しさもひとしおです。
大人が楽しんでると、こどもも楽しい。
今回おもしろかったのが、大人がとても楽しそうに石を掘る風景です。
大人たちがこどもに負けじと水晶に夢中になってる図がめっちゃ素敵だったのです。
「ねえ、こんなの出た!すごくない?」と大人同士が見せ合っているのが、良いな~と。
さらにおもしろかったのが、今回は高野先生が参加されたので、専門家の方にすぐに「これは何ですか?」とか「なんでこの色になるの?」ということを聞くことができました。
「これはチャート」「鉄分がしみ出して変色したのが赤色になっている。鉄分は緑にも変色することもあるよ~」と回答がすぐにバシっと出てくるので、即納得できるのが、得難い経験でした。
わたし「フォッサマグナとかは関係ありますか?」
高野先生「フォッサマグナなんて、もっと最近のことだよ。」
フォッサマグナが最近?(またくらくらする)
全然知識が追い付いていないのですが、あとで調べました。
フォッサマグナが形成されたのは日本が大陸と離れた3000万年前のこと。
そして恵那市はフォッサマグナの西側で、新しい地層ではなく、もともとあった古い地層なので、フォッサマグナは関係ない。う~ん知っているようで全然知らなかった!面白い。
ちなみに日本に人類が移り住んできたとされるのは、3万年前とされますので超最近ですね。地球の歴史からすると、ほんとうに昨日のことのようなもんです。
山を降りたあと、なんと山主の奥様がコシアブラの天ぷらをごちそうしてくださいました。すごく軽くて美味しくて、山菜デビューした次男でした。
お庭でチャートの巨岩も発見。鎮座しておられました。
おばあちゃんが、「この岩は良い岩やで大事にせよ」と言っていたそうです。
この巨岩を形成するまでに、何億、何兆ものプランクトンたちが死んでいったと思うと…長い年月を感じます。
層になっているのですが、割れて面が出ているところがあり、高野先生が
「この平らな面は、すごい昔に海底だった面なんだよ。」と教えてくださいました。
ちーくんはかつての海底を両手で触って感じていました。
本日の釣果と、石の楽しみ方+α
そして最後には、本日の成果物を並べます。
みんなで「いいねいいね~」「この石もいいね~」と褒め合い。素晴らしいコミュニティです。
さらにはおぼちゃんが一言。
「この石を並べて楽しむのも、全然いいんですけど僕はさらにこうして…」
と小さなルーペを取り出し、水晶の結晶の部分を覗きはじめました。
LEDつきの30倍と60倍のルーペ。
「こうしてみていると、これをおかずにごはん3杯いけちゃいます。」
うそだろ~?と言いつつ旦那さんがルーペを覗きこむ。
「おwうっひゃ~~!!ww」
「たしかにこれはごはん3杯いける」
なにが見えたのでしょう?
みなさんもぜひ、水晶の結晶をのぞき込んでみてください。
わたしは「この中に住みたい」と思いました。
石を綺麗にする
綺麗にするために、酸性の液にひたしておくとよいらしいということで
ちーくん、家に帰って石を洗って酸性の液に浸ける作業。
クエン酸が無く、キッチンハイターの希釈液に3日浸けて乾かします。
石の面白さにハマり、帰ってからもしばらくは庭の石をハンマーでたたいていました。
=酸性の液に浸けた3日後=
こんな感じで綺麗になりました!
やや鉄分が赤みを帯びている感じがあるので、さらにアルカリ性の液に浸けると中性になって色が戻るかもしれません。実験、実験です。
おぼちゃんにもらった結晶、まことに美し。
ちーくんの記録です。
里山を学ぶのに、地質学は必須だろうということでずっと学びたかったのですが、なかなか独学でどこから手を付けたらいいかわからない状況で何年も経過していました。
今回、おぼちゃんと高野先生のおかげで、地質学のおいしいところを楽しむことができました。奥深い部分は、まだまだ自分の知識が不足しておりますが、この日のために買った岩石図鑑で学んでいこうと思います。
石俱楽部、次回もよろしくお願いいたします。