住みびらきをしているひと。(日記)
先日、友人のカタヤマくんが、私設図書室をつくったというので、遊びに行ってきました。
中津川市のとある一軒家の、3階にその図書室はありました。
ひとの本棚は、そのひとの脳内が表れているので見るのが好きなのですが、階段を上った先にはカタヤマワールドが広がっていました。
ビジネス書、軽く読める本から、雑誌から、哲学書、人文系の厚い本。
コロコロコミック分冊、絵本。
自然科学の本、建築の本。
そして心地よいギターのレコードが流れています。
カラフルな本棚たちはカタヤマくんの脳内そのものでした。
脳内お花畑、とは、ネガティブな意味で使われますが、カタヤマくんの脳内は春の野のようなお花畑で、色とりどりの草花のいい香りがするようです。
その本の量に圧倒され「全部読んだの?」と聞くと
「いや、読みたいなと思うとすぐ買っちゃうんだよねえ。読んでないのもたくさんあるよ」と。
「本買うのが好きなんだよねえ」とのこと。
…本読むのが好き、じゃなく、本買うのが好き、というのも良いのか。確かに本を買うときって、まだ知らない世界がわたしを待っている!って感じでわくわくするもんな‥‥。
そういうことならわたしも、本を買うのが好きかもしれないなと思いました。
(わたしは常々、積読は漬物と同じく「発酵食品」と思っているのです。
積んでおいて、いつか必要な時に食べる(読む)。ちょっと背伸びして買ってしまった書物も、年月が経てば、知識が増えて経験が増えて、読めるようになるかもしれないのです。
フレッシュなうちに読むもよし、いつか熟成したら読むもよし。)
私設図書室にはいろんな種類の椅子が各所に置いてあって、とてもおしゃれだったのですが、ふと高校の同級生のSくんを思い出しました。
Sくんは、椅子に魅せられて総合学習でイームズについて調べ上げ、いつもの朴訥とした調子よりか、やや(いやかなり)朗々とプレゼンをしていたのが印象的な男の子でした。
わたしはあんまり話したことが無かったのですが、実家のガソリンスタンドを継げと言われながらもイームズに夢中になって椅子やインテリアのデザインを学びたいと言っているSくんにはちょっぴり憂いがあって、不思議に心に残っていました。
それで「こういうような椅子を見るといつもSくんを思い出すんだよねえ」とカタヤマくんに言うと「何かをみて、誰かをいつも思い出すっていいねえ」とぽつり、つぶやきました。
確かに、もうSくんに会うことはないかもしれないけれど、そんなにしゃべったこともないけれど、たしかにわたしの日常にかすかな影響を与えているという事実は、興味深いかもしれない。
この前日に、庭文庫のみきちゃん・ももちゃんと、七海ゆきちゃんと新年会をしたのですがそのときにみきちゃんが「新年の抱負って楽しいよね?」と言ったのですが、旦那さんが「抱負を立てると、想定外なことが起きて抱負を達成できなかったときに落ち込むからなあ」と言いました。
するとみきちゃんが「叶わなかったら叶わなかったで、『新年のはじめはこんな抱負立ててたんだあ、かわいいな自分』と思って嬉しいよ」と言うので
後で旦那さんが「あんな考え方があるんだなあ、それでもいいんだあ…驚きだな」と感銘を受けていました。
こんなふうに、自分ではこうだと思い込んでいたことが、人と話すと打ち壊されることがあります。ハッと気づくあの瞬間。
そういった固定概念のガラガラ崩れるアレって、よくあることではあるのですが、昨今の情勢で、対話の機会が減っていたような。
我が家も「場」を開きたいなと前々から考えていたのですが(見切り発車で開いてはいるのですが…)、いかんせん仏壇アリ、和室ばかりで、どのようにみんなが来られるような良い空間を作れるのか…といつも心が折れていました。
しかし今回この私設図書室を見て、手作りでこんなに居心地の良い空間をつくれるんだなあと、希望が湧いてきます。
足を運ぶ、人と話をする、新しいもの・場所に出会う。そんな当たり前のことが次の一歩を踏み出す力を与えてくれることをしみじみ感じました。
最後にずっと読みたかった、アメリカのネイティヴインディアンの口承史「一万年の旅路」、「野中モモの『ZINE』」、2冊を借りカタヤマ家の図書館を後に。
今年は、色とりどりの椅子をいっぱい家に置いて、住みびらきしたいなと思った私設図書室訪問でした。