モデルは演者
「物語性っていうのには
ちょっと違和感があったかな。
私は物語をつくらなくていいところが
写真のいいところだと思っているから。」
映画「ナチュラル・ウーマン 2010」(野村誠一監督)の中で主人公、村田容子が出版社の編集者に話すセリフ。役柄が商品写真を専門とするフォトグラファであるので、こういう応えをしたのだろう。そして、彼女がそういう仕事を選んだ背景というものがその映画の物語の中には描かれている。商品写真でなくともポートレートであっても「物語」が必要のないものはある。もしくは、邪魔になるものもあると思う。
ボクの作品は「物語」を込めて撮ることが多い(ただし「素(す)」をテーマとするものは別)。ボクがディレクションすることもあれば、大まかなシチュエーションだけ指示して、あとはモデルにお任せすることも多い。良い意味で裏切られた表情や仕草をしてくれた時、「この先、彼女はどんな表情を見せてくれるのだろう?」というワクワク感はたまらない。
ボクの写真の感想で「綺麗」という言葉は嬉しい反面、残念に思ったりもする。「ただ綺麗なだけで、つまらない写真だ。」と、酷評されているようにも聞こえるから。「この女性は今何を考えているのだろう?」とか「もしかしてリアルに付き合っている彼女?」「なんだか別れが近づいているようで、見ていて悲しくなる」など、ボクが意図した物語と違っていたとしても、ボクの写真を見てくれた人が色々と想像したくなるような、そんな写真が撮りたいと思っている。
これを現実化するには、やはりフォトグラファのチカラだけでは難しいと思う。モデルが意識して演者になってくれることが必要。