再掲:オーウェン・ジョーンズについて
KKV MAGAZINE 2019年4月22日公開の記事の再掲載です。
1984年生まれの若きジャーナリストであり、政治的なアクティビストでもあるオーウェン・ジョーンズによる『チャヴ』 (弱者を敵視する社会)は一昨年に読んだ本の中で私をもっとも興奮させ、刺激を与えてくれた1冊だった。そして去年の年末に邦訳が発売となった『チャヴ』の続編ともいえる『エスタブリッシュメント』(彼らはこうして富と権力を独占する)は私にとって間違いなく今年一番の刺激を与えてくれた本である。
『チャヴ』ではここ数年イギリスで問題視されてきた最低の貧困層の実態とその背景、そしてまたその人々をエスタブリッシュメントがスケープゴートにする理由を掘り下げ、『エスタブリッシュメント』では社会の上層部といわれる人々の思想がどのように形作られ、また彼らがいかに巧妙に税金を逃れそして国家に寄生しているかを多くの当事者と対面での対話を重ねながら明らかにしてゆく。
こう書いてくると、かなり硬い社会的なルポルタージュと思われてしまいそうだがそうではない。社会とあまり接点のない学者が書くような論文ではなく、いま起きている多くの不正に対して率直な言葉で問いかけてくるメッセージと言ってもいい本なのだ。
彼の語り口は率直さと情熱、怒りと疑問に満ちている。これはかつて私がジョー・ストラマーやポール・ウェラーをはじめとする多くのミュージシャンの発言やインタビューから感じたことだし、不平等にたいする確信に満ちた質問や疑問はモリッシーを思い出させるのだ。 それがここでこの2冊のレビューを書こうと思った大きな理由である。
中学生の時に『ロンドン・コーリング』に出会いロックを聴くようになり、ほぼ40年。クラッシュやスペシャルズ、スミスからストーン・ローゼズを経てオアシスやヴァーヴ、そしてレイヴからスーパークラブのダンス・カルチャーまで、80年代初頭から現在までの40年間に私が聴き続けてきた音楽の背景に感じ取ってきたイギリスのワーキング・クラスのメンタリティーがオーウェン・ジョーンズの文章からは強く感じとれる。 彼の文章から伝わってくる視点の迷いのなさと出自に対する誇りは、私が愛してきた多くのミュージシャンがそうであったように確信と力強さを備えている。 この気持ちよいほど明快な彼の論旨は、私が10代から聞き続けてきたイギリスの音楽から感じとってきた感覚と同じなのだ。スミスの告発もストーン・ローゼズの歓喜も、そしてオアシスの勝利もはっきりとそのメッセージを受け止めてくれる人々へ向けられていて、オーディエンスとの間に結ばれた信頼関係を感じとることができた。そういった音楽が普通に生活する多くの人々に届くことは、遠く日本からイギリスの音楽を追っかけていた私からみるととても羨ましいことだった。
オーウェン・ジョーンズの本を読んで気付かされたのは、これまで私が熱心に聴いてきた音楽からある種のアティチュードも読み取ってきた、ということだった。受け取ってきたのは作品自体のメッセージだけでなく、その作者の人間性とそれを形作る背景や社会なんだと。
イメージでの説明しかできないが、簡単に言うとイギリスはチームの国なのである。 チームの背景とは自分たちの出自に誇りをもつワーキング・クラスで、それぞれの地域やコミュニティーが強い連帯感で結ばれている。代表的なものはイギリスのフットボール文化だろう。 音楽でいえば、アメリカではボブ・ディランやプレスリー、ニール・ヤングからスプリングスティーンまで社会的に大きな存在はソロ・ミュージシャンであることが多い。しかしイギリスはビートルズの時代からつねに大きな存在はグループ、つまりチームが中心にいる、クラッシュ、スミス、ストーン・ローゼズからオアシスまで。自分たちのチームに誇りをもつこと、それは地域へそして階級へと続いている。そのチームの一部が危機に晒されているならば、それぞれのメンバーができることを考えるという意識がイギリスには根強くある。
80年代の炭鉱ストを支援したミュージシャンもそうだし『ブラス!』『パレードへようこそ』のような実話が映画になることもケン・ローチの諸作もそうだろう。もちろんその裏側や問題点も描かれる、たとえば『This Is England』や『トレインスポッティング』に描かれる暴力や地方の荒廃がそうだ、それだけでなく『T2』や『わたしは、ダニエル・ブレイク』のように告発することも忘れない。 もちろん、辛辣な皮肉とユーモアで笑い飛ばすことも忘れない。
この文章を目にしている人はきっとこの感じをわかってくれるだろう。
オーウェン・ジョーンズは『チャヴ』でまず貧困という問題に、『エスタブリッシュメント』で貧困を生み出してきた背景に隠れている構造とそこに巣食う人々に正面から向き合ってゆく、もちろん彼が糾弾するべき相手にも会いに行って話を聞く。 サッチャー政権の誕生から徐々にねじれていくマスコミや政界、効率化を隠れ蓑にしながら公共サービスの民営化を進める裏側で国の予算に寄生する集団、これはこの20年間に日本で起きていることとほぼ同じといっていいだろう。 『エスタブリッシュメント』で描かれている公共サービスの民営化は竹中平蔵とパソナ・グループがやっていることまんまだし、サッチャー政権が警察を取り込んでゆくさまは官僚の任命権を内閣が握ったことで検察が森友学園、加計学園問題に切り込むことのできないのと同質の問題をはらんでいる。ブレア政権がメディア王マードックにすりよっていくさまは総理大臣と会食をする大手新聞社の経営陣の姿と重なる。
産業全体が不景気に苦しむ中、金融業界は過剰に保護され、富裕層への税金はいっこうに上がる気配をみせず、社会保障費は上がる。
詳しくは両書を読んでもらいたいのだが、日本も同じ問題に直面していることがはっきりわかると思う。 日本で彼のような意見を持つと、すぐにイデオロギーの問題にすり替え、議論の本質を別のことにすり替えられてしまうことが多い。とくにネット上ではそのすり替え行為によってことの本質がひどい酷い非難の応酬に変えられていく。 日本でもひとつひとつの問題点はバラバラに見えても、それぞれの出来事をたどれば同じところに行き当たるはずだ。
この2冊は私たちにとっても目の前にある問題点をクリアにさせる手助けとなると思う。
日本で暮らす私たちには私たち特有の問題があり、同じように日本の「エスタブリッシュメント」に怒りと失望を感じている人々は多いだろう。このままうんざりしているだけでは大変なことになると、彼の明快でまっすぐな姿勢はいま私たちに教えてくれている。
音楽ファンにこそ読んでほしいと思う。