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再掲:1987年のこと

KKV MAGAZINE 2019年12月16日公開の記事の再掲載です。

The House Of Loveのデビュー・シングル「Shine On」が英OPTIC NERVEというレーベルから7インチで再発となった。国内流通はディスク・ユニオン、この再発の国内流通分のライナーを担当してます。 僕にとって「Shine On」はとても思い出深い曲なので、ライナーでは触れることのできなかった当時の状況を書いてみます。

https://diskunion.net/indiealt/ct/detail/AWS191114HOUSE

1987年のこと

1987年はスミス解散の年であり、アシッド・ハウスがイギリス吹き荒れる一年前、個人的にはCDプレイヤーを導入した年でもある。ハウス・オブ・ラブの「Shine On」はドイツのラフ・トレードからでた初期のシングルをコンパイルしたCDで買っていて、同じ年に出たプライマル・スクリームの『Sonic Flower Groove』の2枚が強く印象に残っている。毎週毎週レコード・ショップをぐるぐるまわってライブハウスに通う日々。先日刊行された小出亜佐子さんの『ミニコミ英国音楽とあのころの話 1986-1991』を読んで、小出さんの思い出があまりにも自分の行動や感じていたことと同じことに驚きつつも、あの時代の自分の目に映った東京の景色がまざまざと蘇った。

小出さんの本を読んでアズテックやペイル、スミスになにかを感じた『パンクに間に合わなかった』世代特有の感性があるのだと、改めて実感した。パンクは憧れのムーブメントだけど自分は当事者にはなれなかった、しかし音楽が単に音楽であることを超えてなにか別のアティチュードやメッセージを纏っていることを教えてくれた。僕らの世代はその感覚で次のなにかを探していたんだと思う、だからこそなにを聴いているかがあれほど大事だったのではないだろうか。

87年から88年は静かな転換期でもあった。85~86年あたりから数多くのイギリスのインディー・レーベルが活発に活動をはじめ、87年クリエイションからデビューのハウス・オブ・ラブはスミスなきあとのヒーローと期待されていた。実際彼らの1stはその期待に応えた素晴らしいものだった、が、話題は翌年のストーン・ローゼズにすべてさらわれてしまう。もちろん僕自身もそうだった。でもハウス・オブ・ラブは最初のコンピレーションからクリエイションの1st、メジャー・デビュー盤そして1992年の『BABE RAINBOW』まで素晴らしいアルバムを作ってきた。僕は彼らの曲の中でもシンプルなアコースティックな曲とバラードが特に好きだ、「Lonliness Is A Gun」「Man To Child」「Beatles And The Stones」「Girl With The Lonliest Eyes」そして「Feel」。どの曲もなぜか冬になると聴きたくなる。


小出さんの本にも書いてあったのだけれど、この80年代中頃から90年までは実にいろんなシーンや音楽が混在していた。サイコビリー、2 Tone以後のスカ・ブーム、黎明期のパンク系USインディー、ゴシック系とノイズ・ミュージックはまだかなりリアルな存在だった。ライブハウスにも様々なバンドがいて、かくいう僕も87年はJAGATARAの追っかけと化していた。輸入盤店に展開されている様々なコーナーがあの時期ほど魅力的で同時に謎だったことはない。1枚のレコードを買うのにジャケットとほんのわずかな情報から、自分の想像力を最大限駆使してあたりを探す、当時僕が限られた情報から読み取っていたものがなんと多いことか。リテラシーという言葉を超えて、言葉にできないことも含め多くのことを感じ取っていたのではないだろうか。87年の思い出はレコードとライブハウスに尽きてしまう、あれ、今と同じじゃないか。


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