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【私たちのまちの自慢人@那須塩原】『2拠点生活で、ローカルに生きる』 ゲストハウス街音matineeオーナー 豊田彩乃さん

街のカルチャーを作り出し、それぞれのライフステージに合わせて選択している全国各地の女性たちに迫る私たちのまちの自慢人』。

大学時代に那須塩原に移住し、地域おこし協力隊、移住定住コーディネーター、ゲストハウス「街音matinee」をオープン。2拠点生活というライフスタイルを選択し、ローカルをキーワードに切り口を変えながらお仕事されているゲストハウス「街音matinee」オーナーの豊田彩乃さん。

進路選択から始まり、興味を膨らませて絞るまでのプロセスまで余すことなく、WI代表 大山がたっぷり伺いました(取材日:1月8日、2月26日)。

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豊田彩乃さん:1991年埼玉県生まれ、埼玉県草加市出身。大学4年のころ、がんのチャリティーイベントのスタッフとして半年かけて日本全国を巡る。このアルバイトで貯めた資金で、世界各国を旅した。卒業半年前の2014年10月から3年間、那須塩原市地域おこし協力隊として観光プロモーションに従事。退任後は、黒磯駅前商店街の空き店舗を活用したゲストハウス「街音 matinee」を運営しながら、2020年3月まで、那須塩原市移住定住コーディネーターとして相談対応や移住セミナー等実施。その他、同年代の仲間や地元の方とイベント企画等。

『幼い頃の興味が派生して、身近なところから広がっていった』

WI大山:彩乃さんの今のお仕事とリンクするとしたら、地域や経営に近い分野を大学で学ばれていたのかなと思っていました。社会学を専攻されていたんですね。

彩乃さん:幼い頃から国際交流や文化に興味があったんです。それらが学べるのは人類学、社会学だと思い、今の社会がこの先どう変化していくのか、消費社会の変遷を実証研究する消費社会論を専攻していました。

WI大山:幼い頃の興味が専攻に繋がっていたんですね。大学時代は大学に通いながら、やる・やりたいを取捨選択されていたと思うのですが、判断基準やルール、モットーはありましたか?
高校生の頃からアクティブだったのか、大学生になって自由時間ができてからやってみたいという気持ちが芽生えたのか含めて、伺いたいです。

彩乃さん:埼玉県の中でも田舎で、ご近所さんのほとんどが同じ“豊田”という名字なぐらい、集落が強いところの出身で。小さい頃から運動会や地域絡みのイベントが多くて、家族がごみ拾いに参加していて、私も自然と行っていました。好きというよりかは、そういう身近なところから興味が広がっていったのかもしれないですね。

高校時代は特別何かしていたわけではないのですが、大学に入ってから、東京都内の公民館で子どもたちと科学実験をしたり、バルーンアートをするボランティアをに参加してみるなど、興味の赴くままに行動していました。

『自己分析は、“やりたい”よりも“やりたくない”気持ちに注目してみる』

彩乃さん:もともと留学をしたいと思っていたので、大学4年生になるタイミングで休学しました。留学費用を集めようと思い、バイトを探していた矢先で、がんを克服した方や、その企画の想いに共感する方がタスキをつなぎながら日本を1周するチャリティーイベントの運営スタッフバイトを見つけたんです。見つけてすぐに応募して、半年かけて日本全国を巡りました。

休学後は、広告代理店に絞って就活していました。電車通学するようになった高校生の頃、ふと街を見回してみたら、今まで自分が考えたこともない言葉を使っている広告に触れて…。自分も“誰かの物事の見方を変化させるきっかけになりたい”という想いから、広告に興味を持ちました。

WI大山:私含めてウーマンズには、受験・就活を目的で活動しているメンバーがいないので、想いのままに動かれていた彩乃さんの姿と重なる気がしました。お世話になってる方々がよく「ゆりちゃんは将来、社会にどんな価値を提供していきたい?」と問いを下さるのですが、長期的な視点ではなく、目先で出来ることだけ考えている私には難しくって…。広告と絞って就活されるまで、彩乃さんが辿ったプロセスを詳しく教えて頂けますか?

彩乃さん:就活は様々な会社や人と触れ合えるからこそ、1番視野が広がる貴重な時期だと思います。私も、広告に興味を持っていましたが、その仕事をしたいというより、ただ広告が好きなだけなのかもと分からなくなって、業界を絞らず見ていた時期がありました。

その過程で、 “たくさんの人・モノ・コトに触れながら社会で困っていること・負なことを解決したい”という想いが改めて芽生え、幅広い業界と関われる代理店に絞りました。最終的には、そこから“ローカルで働きたい”と変化していきましたが、その時々の自分の気持ちに従って、やりたいという気持ちよりも、やりたくないことの方に注目していました。

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那須塩原で外国人ブロガーを案内(2015年)

誰しも向き不向きがあると思っていて、私の場合は“ずっとオフィスにいるよりある程度自由に動ける方がいいかも、そうじゃない時間が多いのは嫌だな”と。その嫌だなって気持ちに注目しながら自己分析しました。

WI大山:自分に向き合う時間が増えれば増えるほど、見えてこないとモヤモヤしたり、気持ちがいっぱいいっぱいになったりすると思うんですけど、そうならないコツはありましたか?

彩乃さん:たしかに今思えば、いっぱいいっぱいだったと思います(笑)。でもいっぱいいっぱいになるのは、良く言えば集中して挑戦している瞬間でもある。それだけそのことについて考えているってことでもあるので、いっぱいいっぱいになりながらも、辛くならないくらいの線をキープしつつ、もし辛くなっちゃったらその日は寝ちゃう(笑)!そうやってまた明日を迎えられるといいですよね。

『それぞれの個性がお互いを支え合っている那須塩原』

WI大山:「集中して挑戦している瞬間」っていう彩乃さんの言葉が、ホッと一息つける余白を作ってくれる気がします。ありがとうございます!
広告代理店志望で就活していた一方で、地域おこし協力隊に入ったきっかけ、地域絡みの仕事をしたいと思った原点ってあるんですか?

彩乃さん:「地域おこし協力隊」というワードを知ったのは大学時代で、休学中にローカルの現場で働いてみたいという想いが生まれました。その短い期間に、日本1周と海外バックパッカーの両方を経験したことで、日本には自分の知らない面白いものや場所がたくさんあること、何の気なく過ごしていると入ってこない情報が、ローカルの現場には沢山落ちていることに気付き、それらを共有する場や仕組みを作りたいと思いました。

ヨルダン

大学休学中にはヨルダンを含め、イスラエルなど多くの国を巡られていたそう。

日本と海外を両方見て回ったことで、将来は海外でバリバリ働きたいと思っていた気持ちが一転し、日本のことをもっと知りたい、もっと伝えたいと感じるようになりました。

代理店と地域の2択に絞った時、自分がやりたいことは“伝えること”に加えて、“現場の人と同じ立場、視点に立って、自分自身が現場に入り込むこと”だと思ったので、地域おこし協力隊を選びました。 山形や新潟を始め、色々な県に見学しに行ったのですが、栃木県はアクセスが良いのに、特徴が十分に伝わっていない。知名度やイメージが薄いので、もったいないなと思い始めたんです。

WI大山:確かに栃木と聞いて思い浮かぶのは、日光と宇都宮市、食べ物は苺と餃子ぐらいです(笑)。

彩乃さん:私も当時それくらいしか浮かばなかったです(笑)。でもそれと同じぐらい実際はどうなんだろうと興味が湧いてきて、街の人や街が取り組もうとしている街づくりに惹かれて、那須塩原に住んでみようとポンって決めました。

WI大山:私の家は特殊みたいで、毎年母方の祖母家族30人弱で旅行する“いとこ会”があったんです(笑)。そんないとこ会に、家族でも何度か旅した那須塩原が大好きです。私の中で空気が澄んでいる印象が強いのですが、彩乃さんが移住して2拠点生活しながら気付いた魅力が気になります!

彩乃さん:この街の良いところは、何か問題や課題があった時にもうダメだと思う人が少ないこと。例えば家に修繕しなきゃいけない箇所があってどうしようとなっても、自分の頭で考えて直す人が多くて、自分にもできるかもと思わせてくれるんです。

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NASU WINEでワイン用ぶどうの収穫体験を開催(2016年くらい)

東京は色々なサービスが充実していて、ササッと人に頼んでササッと進んでいく。それはそれで便利だけれど、この街では困ったら一旦誰かに聞いてみたり、この人はこれが得意だからって紹介してみたり。それぞれの個性がお互いを支え合っていて、ローカルの面白さを感じています。

『自分ができることをやっていった先に仕事が組み合わさって、自分の想いが広がっていく』

WI大山:海外と日本の両軸に触れて、今までとまた違う日本の魅力に気付かれたんですね。那須塩原を起点に仕事をどう派生させていきたいか、彩乃さんの中でビジョンはありますか?

彩乃さん:地域おこし協力隊になる時から、ゲストハウスのような街の交流ポイントを作りたいと思っていました。移住定住コーディネーターを始める時に、ゲストハウス街音のオープン申請をし、今は移住定住コーディネーター(2020年3月に退任)と街音がいい影響を与え合っています。

仕事というものは、思いもよらないところで膨らんでいって、面白い。学生時代は「〇〇屋さん」のように1つの仕事を目指すものだと思っていました。今は、自分ができることをやっていった先に仕事が組み合わさって、自分の想いが広がっていく面白さがあることを実感しています。

やりたいことは1つに絞らなくていいと思っていて、やりたいことをそのまま生かしていった先で、いつか交差していくかもしれないと思うようになりました。

WI大山:やれることをやっていった先で想いが広がり、今の彩乃さんの姿につながっているんですね。

彩乃さん:ウーマンズメイン読者の高校生・大学生の皆さんは、可能性しかない歳なので、これの方がいいかなと思って狭めるのはもったいないですよね。

外観

温もり溢れるゲストハウス「街音matinee」の外観

WI大山:言葉に向き合う彩乃さんの新たな挑戦の舞台の1つは、ゲストハウス「街音matinee」と伺いました。由来とどのような場所にしたいか、彩乃さんの想いを教えて下さい!

彩乃さん:街の音が自然と聞こえてくる場所にしたいという想いから街音(マチネ)と名付けました。「マチネ」はフランス語で朝という意味があって、綺麗な朝日・パン屋さんや和菓子屋さんのいい匂い・車の音と風にだんだんと町が起きていく様子も含まれています。
そんな街が目覚めるのを実感できる場所に作った街音は、もともと空き家でした。空き家は町の中の負の財産と捉えられやすいからこそ、活用していきたいと思ったんです。でもいざ空き家をDIYで改装しようと動き始めたら、様々な課題が出てきて、それぞれの課題を得意な人に協力してもらいながら、準備しました。

その後は農家さんと協力し、収穫体験とゲストハウスを組み合わせたツアーを作ったりもしました。街音という1つの箱を通じて色々なモノがつながっていき、今までできなかった体験が生まれたらいいなと思っています。

町ね

“ふらっと、深い出会いを。”がコンセプトのゲストハウス「街音matinee」

『仕事と生活が自然と溶け合うようになった今。暮らしも仕事も全て自分』

WI大山:先日お会いさせて頂いた時に仰っていた「暮らしと働きが近づいていく」「縦で判断しないで横に広げていく」という言葉が、未だにこだまのように響いています。

彩乃さん:1つの仕事を目指していた時期は、“出世する・上がっていく”といった縦の軸しかありませんでした。今は成長だけを追い求めるのではなく、“好奇心を大事にする・仲間と手をつなぐ・地に足をつける、四季を感じる”といったように、周りを見渡す感覚が身についてきた気がします。

地域の人から仕事と生活が複合していく価値観を教えてもらい、意識が変わっていきました。昔より余裕があるように思える今、仕事と生活が自然と溶け合うようになり、暮らしも仕事も全て自分だと感じるようになりました。

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『旅行プランが即決定!温泉・絶景だけじゃない、那須塩原のカップル旅』
まぐまぐさんとのタイアップ記事(2016年)

WI大山:焦燥感に駆られることなく、気持ちにゆとりを持ちながら笑顔でお話して下さる彩乃さんのマインドや思考は、幼い頃からなんとなく身に付いていたスキルなのでしょうか?

彩乃さん:幼い頃は周りが気になっていて、今は言わなくなりましたが「もっと頑張らなきゃ」が口癖でした。「頑張らなきゃ」ってたいてい誰かや、未来の自分と比較して出てくる言葉のような気がします。1人1人生き方が違うからこそ比べる必要はなくて、自分が納得できたらそれでいいんだと思うようになりました。

『今の自分が嫌だと思っていても、何年後かに自分の物語の一部になる』

WI大山:お話を伺いながら、ネガティブなことがあっても、ポジティブな側面を探しながら生活されている印象を抱きました。物事に対して受け止める最初のステップを負ではなく、ポジティブに捉えるために意識されていることはありますか?

彩乃さん:自分がポジティブな理由は、些細なことでも幸せと感じたり、一瞬悪いことのように思っても、今後の糧や成長になるだろうと考え直しているからかもしれないです。今の自分が嫌だと思っていても、何年後かに自分の物語の一部になる。短期的な見方ではなく、長期的な目線で見ているのかもしれないですね。

WI大山:目先のことではなく、長い視点で物事をとらえているからこそ、ネガティブをポジティブに変換した考えでいられるんですね。地域に溶け込み、地に足をつけて生きていらっしゃる彩乃さんの等身大の姿に出会える貴重な時間をありがとうございました!

(文:橋本枇菜乃池田咲希、構成:吉田響、編集:大山友理)


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