名文が何なのかよく知らない。強く惹かれる文章に出会ったというだけ
備忘録的な意味で、記しております。
先週末に近所を散歩していたところ、
駐車場の脇に、大量の生活雑貨とともに、「ご自由にお持ちください」と記載された段ボールが置いてありました。
引っ越しとか掃除とか、したのでしょうね。
そこに何十冊か雑誌も置いてあったのですが、
目についたのは『暮しの手帳』でした。
まさか、
散歩していて、暮しの手帳に出会うとは……。
「ここでこの雑誌に出会うということは、『(編集の)基礎に立ち返れ』っていうことなのかな……」と考えてしまうくらいには、私、疲れていました。
しかも、その中に、『美しい暮しの手帳』(暮しの手帳の旧タイトルで、ようは創刊号)の復刻版が付録になっている2016年夏号を発見。
もちろん、もらって帰りました。
結論を言うと、あとがきに感動したって話
いろんな感想があるのですが、そこはバッサリそぎ落として
私が記憶しておきたいことだけ記述しますと、
「あとがき」がとても印象的だった、ということです。
創刊号のあとがき・編集後記は、編集者の強い思いがにじみ出ることが多いですし(むしろにじみ出ちゃってるほうが好きです)、
実際、この『美しい暮しの手帳』のあとがきも全体的にとてもとてもエモい感じになっています(という私の印象)。
「振り返ってみると、こんなに楽しい思いで本を作ったことはこれまで一度もありませんでした」
「この本はけれども、きっとそんなに売れないだろうと思います」
とかとか。
いや、この時点ですでに「ああ、いいな」って思ったのですが、
私が一番、心に残ったのは、
読者に「原稿送ってください」と声かけしている部分です。
「原稿を送ってください。
この雑誌に向くものなら、何でも結構ですけれど、
とりわけてあなたの具体的な暮しの記録が、
いただきとうございます。
ひとが、どんなに生きたかを知ることは、
どれほど力づけられ、はげまされるか知れないと思うからです」
文章には2通りあって、執筆者(および編集者)の姿ができるだけ見えないようにフラットに書くものと、
あえて姿を見せるものがあります。
私は、前者の文章を書くことが多い。
この2つの形式に優劣をつけることはできないし、つけようとすること自体無意味だとは思うのですが、
今回再確認したのは、執筆者(および編集者)の渇望(感情)が比較的クリアになった文章のインパクトの大きさですね。
直接的であれ、(紙面を通じた)間接的なものであれ、相手の感情に直面すれば、当事者の心もまた少なからず動く。
その道具としての言葉の影響力を、このあとがきで自分が体験しました、はい。
名文の定義が何なのか私はよく理解できていません。
正しい日本語というものに近いのか遠いのかも、人それぞれ感じるところがあるんじゃないかなと思った文章です。
でも、私は久しぶりに文章を読んで感動しました。
そんなあとがきでした。