自分の話した事に大笑いしてくれた。 それだけで嬉しい。 私の存在が誰かの笑顔に繋がるなら、生きてる価値があるというものだ。 でも、逆に、自分が大事にされてないなーとか、隣の人の方が大事にされてるなーとか感じると、とても落ち込む。 そうだよね、私に価値はないよね、なんて卑屈になる。 でも、人の価値ってなんだろう? 自分以外の人が価値をつけてくれるのだろうか。 価値はお金で? 知名度で? だいたい私の何を知ってるのさ。 誰がつけた価値に対して落ち込んでいるのか、よく分からな
InstagramやFacebookで、見知らぬ人からDMがくる事が度々ある。 大抵男性で、何故かみんな似たり寄ったりの文言を送ってくる。(変わった女性からのDMは、営業かスピリチュアルなお誘いが多い。) 男性からどんな感じでくるかと紹介しますと、 ①はじめまして ←挨拶 ②FPの資格持ってるんですね ←プロフィールを見たらしい ③僕も資格を取ってみたいと思ってました ←もしくは持ってます、という謎のアピール ④何て呼んだらいい?←もしくは、みなこちゃんと呼んでもい
「私の読書法」なんて、ちょっと書いてみたかっただけだ。 何故なら、方法もあったもんじゃない。乱読もいいとなのだから。 家の中はもちろん、カバンの中、車の中に本が溢れている。 今もリビングのテーブルの上に二冊、ソファに二冊、棚には数えきれないくらい本がある。 出掛けた際に、カバンに本が入っていなかった時はちょっとしたパニックになる。 なので、常にカバンの中にも本を忍ばせておく。 それなのにだ。 読む本が無い…と思ってしまう。 これは一種の病気なんじゃないだろうか? いっぱい
人の欲望というものは、穴の空いた壺なんじゃないかと思う。 一生満たされることは無くて、「もっと」「もっと」と渇望する。 周りから見たら、充分に幸せで満ち足りているように見えるかもしれない。 いや、寧ろ自分を俯瞰で見たら、そう思うべきなのだ。 なのに、不安や不満で自ら視界を狭めているのは何故なんだろう? 幸せを求める事が生きている意味だと思う。 幸せを満たす為に、私の決心。 お気に入りを持ち 好きな人と会って 大事にしてくれる人と大事にし合って 好きな場所で 好きな事
5年前くらいにとても仲良くしていた人に、久しぶりにLINEをした。 心が弱っていて、傷付いていたから、単純にその優しさに頼ってしまった。 その人に「美那子は相変わらず弱っちいな」と言われた。 そう、私は弱っちい。 簡単に傷付いてしまう。 何に傷付いたかというと、それは「言葉」。 言葉は恐ろしい。 一度口から発せられたものは、後でいかに訂正しても、謝っても、消すことは出来ない。 私の中で、今まで言われた「言葉」が積み重なり、重い重い澱のように私を苦しめる。 何度もペー
私のお客様から新型コロナウイルスに感染した、とのお電話があったのが2週間前くらい。 電話口ではとてもお元気そうだったのに、それから二日後急遽入院したとのこと。 自宅で一人療養していたが、発熱、呼吸困難、咳が酷くて、入院となったという。 これまで、感染してもほぼ無症状の方のお話しか聞いたことが無かったので、今日退院されたその方のお話はとても生々しく、心に深く恐怖を覚えたので書いておく。 その方は一人暮らしだったので、自宅療養についても不安があった。食料品などの調達や病状が
お気に入りのイヤリングを片方失くしました。 あー無い… 何気なく触った左耳には何も無い。 気がついた途端、後悔の嵐。 今日はこのイヤリングにしなきゃ良かったなぁ。 外しておけば良かったなぁ。 落ちそうなデザインで警戒していたのに、何故気がつかなかったんだろう。 こんな事なら、早いうちに外しておけば良かった。 いやいや、そもそも外しておいたら今日付けてきた意味ないやん。 家から出た時付けていて、外に出たら外すって意味ないやん。 付けてこなきゃ良かった。 でも、今日はあのイ
「パーソナリティの土門です」そんな言葉を公共の電波にのせる日が来ようとは、思ってみなかった。 近年、音声メディアの活躍が取り沙汰されている。 私も毎日Voicyを聴いているし、clubhouseやラジオトークも楽しんでいる。 所謂「ながら聴き」が現代の目や手が忙しい人たちにウケている、というのは言わずもがなで、かく言う私も、運転中や作業をしながら聴く事がほとんどだ。 私は別にアナウンサーでもDJでもなく、普通の会社員なんだが、ラジオにはちょっとした思い入れがある。 学生
驚いた! 私は囚われていた事を知った。 自分は「自由」を手にしていると思っていたが、色々なものに縛られていたのだ。 性別、年齢、格差、不安、競争、家族、仕事、見えない人たち、お金、居場所… あらゆるものが、私が、私を縛っていた。 それに気付かせてくれた本だった。 オードリー・タン ものすごい人だ。 同じ人間なのかな?と思う。 頭がいいとか、IQが高いとか、それはもちろん桁違いなのだけれど、それだけじゃない。 人間の本質と常に向かい合っている気がする。 インコの話が
もう人生は43年も生きていると、色々な選択をして、辿り着いた「今の自分」がある。(なんか歌詞みたいだ…) でも、あの時あの選択をしていなかったら?と思うこともごくたまにある。 例えば高校生の頃、友だちの紹介で出会った歳上の方とお付き合いした事があった。その人と出会ってなければ、大学であのサークルに入らなかった。 あのサークルに入らなければ、私の友人関係は全く違うものになっていただろう。 もしかしたら、そのまま大学で司書の資格を取って、どこかの図書館で働いていたからもしれな
金太郎飴みたいに、人生のどこを切り取っても完璧で幸せ、みたいな人ってなかなか居ないのかな?と勝手に思っている。 私は昔、めちゃくちゃ悩んでいた時期があって、毎日心の中で泣いていたし、その時は周りが羨ましくて妬ましくて仕方なかった。 「どうして私だけ?」と人生を悲観していた。 でも、今は幸せだ。 あの頃あんなに羨ましくて妬ましかった人を見ても、何も感じない。 逆に私の方が恵まれているのかもしれない、とさえ思う。 どうしてあんなに悩んでいたのだろう? 今になったら冷静にあの時
「革命はいつも、たった一人から始まる」 藤原和博 ポプラ社 ビジネス書を読んで泣いたのは初めてじゃないかなぁ? というか、これはビジネス書なんだろうか? 藤原さんと言えば、「100万分の1の人材」のお話が有名で、様々な方が参考にされている。 そして、私もそのお話しを聞いてから複数の「複業」を目指している。 この本は、藤原さんが「これが欲しい」とか「これを変えたい」と思った時にどう行動したか、が書かれている。 例えば、かき氷製造機。 恐らく頭に
最近話題のclubhouse始めてみて、もうすぐ1週間。 ここ数日使ってみて感じた事や、これからの展望について書いておきたい。 可処分時間が許す限りどっぷりハマってしまい、気が付けばこんな時間…と睡眠を脅かす日々。 あかん!このままではおばあちゃんになっちゃう。 YouTubeよりもタチが悪い。だってリアルタイムで次から次へ多くのインフルエンサーたちが語りかけてくる。 テレビや書籍では見せない、その人となりを惜しみなく聴かせてくるのだ。 例えば、タレントのこじるり。まさか
「対峙力 誰にでも堂々と振る舞えるコミュニケーション術」 寺田 有希 クロスメディアパブリッシング この本はサブタイトルに「コミュニケーション術」とはあるものの、結局はどう仕事と向き合っていくか?、ひいては「自分」とどう向き合うか?という事が書かれている。 あの堀江貴文さんに毎回物怖じせずに突っ込んでいる寺田さんなりの、仕事や自分への向き合い方だ。 それは決して「相手」への向き合い方だけではない。 所謂、「凄い人」「偉い人」などとお話しする際、相手が誰であれ「自分の役
本屋で働いとった時から、「速読」ていうジャンルに疑問を持っとったんな。 「10倍速く読める」とか「速読術」とかいうタイトルの本がめっちゃあるんさ。 そもそもなんで速く読まなあかんの? ていうのも、本が好き、っていうと時々聞かれるん。読むの大変じゃない?とか。 いやいや… 例えば、映画とかテレビドラマとか、好きで観てるやん。 「観るの大変じゃない」よね? それと一緒やわ。 好きなんやもん。本読むのが。 そんな特別扱いして欲しくないわ。 小説読んでると、テレビドラマとか
「壁の男」 貫井徳郎 文藝春秋 凄い物語だった。 2021年初頭にこんな本に出会えた事に感動している。(といっても買ったのは随分前なんだけど) 泣いた。めちゃくちゃ泣いた。 人目も憚らず、あらゆる場面でぽたぽた涙が溢れた。 そして、最後の一文で射抜かれた。 最近は何冊もの本を同時期に読んで、言い換えると、あんまり没頭出来ずの読書だったが、この本は今日一日で夢中で読了した。 どう展開するのか全く読めなくて、でもどんどん予想を裏切っていく。 ストーリーの作り方、魅せ方、本