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夢をつかむ! 061_20241111

友情・・・しみじみ

私には10年以上音信不通になっていた親友がおり、昨年、再会を果たした。
そこから私たちの長年止まっていた友情がまた動き出し、時々メールでやりとりをしている。
彼女も私もお互いに語りたいことがいっぱいで、短文のLINEのやりとりは向かない。
いつも作文1枚分ぐらいの長文が送られてくる。
それに対し、私は「じゃあ、ちょっとだけ」と前置きし、それと同等あるいはそれ以上の長文を返事として送る。

そんな友人が「電話で話をしたい」と言ってきた。
昨日は前もって時間を空けておき待機の上、2時間ほど話につきあった。
「つきあった」というのは、ちょっと上からではないか。
私だってつきあってもらった。

私たちはお互いに依存し合っている。たぶん。

全く正反対の性格の二人はなぜかウマが合う。
彼女は生真面目なネガティブで、私はいいかげんなポジティブだ。
二人を掛け合わせると面白い会話が生まれる。
面白いのは、考え方がそうなだけで、どちらが社交的かと言われれば、案外彼女の方かもしれない。
私は一人が好きで、彼女は一人はあまり好きじゃないタイプ。
でも結局は私はみんなの輪の中心にいることが多く、彼女は静かに端で見ている。
私は中身がスカスカのなんもない自分が人と関わることが怖くて、彼女はいろんな人に気を遣いながら、誰かと関わろうとしている。

彼女は完全にHSP(繊細さん)だと思うのだが、それは「愛されなかった家庭環境」にあると言う。でもご両親は健在だし、彼女の思い込みではなかろうかと思うこともなくはないが、人付き合いが少しだけ苦手。

私は「愛され過ぎた家庭環境」だったと感じており、こんなワガママな性格になってしまったと思っている。

人はどんなに愛されても親の想いを完全には理解することは難しく、親の愛情については常に不安と不満を抱く。結局、自分の思い描いた家族像でなければ満足しなかっただろうということだ。

でもそんな話を普通に言い合える友だちはなかなかおらず、お互いに「自分の財産」だと言って、感謝しているのだから、私たちの友情は厚い。
それに私たちはこの友情を大切にしなければ、自分の心が不自由だということをお互いに知ったから、もう手放すこともないと思う。それだけ10年の年月は二人に辛過ぎた。

私たちはあの時のように相手の腹をさぐるより、素直に自分の気持ちを伝えた方がいいということを知っているから、何でも話し合える仲になった。

私たちはお互いのいいところ、わるいところをそれぞれ言い合って、自分の認識とほとんどずれていないことに安心し、よくぞここまで自分のことを理解してくれたと驚き、感謝をする。
簡単に会える距離ではないが、親友と呼べる相手が存在する、そのことだけでお互いを支えているのだろうなと思う。

ありがとう。また、話そうね。

<1年前の”種まき日記”>
初雪かぁ。先週あぶなかった。県内ではすでに雪が降ったところもある。
今週末にタイヤ交換をする予定だが、それまで降らないでほしい。
今日まで暖かかったが、明日以降気温が下がるとか。
それにしてもアップルパイ、美味しかったなぁ。また食べたい。

<2年前の”つれづれ日記”>
このころ、忙しくてスキやコメントするのが減っていて、そのことで私の気持ちを勝手に臆されるのが怖かった。その人に対する気持ちは何も変わっていないのに、スキやコメントの量だけで推察されるのは本意ではない。
その懸念をインスタントフィクションにしてみた。

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