ほのぼの生きる 216_20230828
結婚と結婚式
十数年目(数えられん!)の結婚記念日を迎えた。籍を入れた日でなく結婚式をした日のことだ。
先日、4人で食卓を囲んで話をしている時に、義祖母が「うぉんのすけの両親が結婚式に参列しなかったことが悔やまれてならん」と言い出した。96歳の人生を振り返る中で悔しかったことだという。
私たち夫婦は反対されて結婚をしたわけではないが、結婚式には私の両親は参列しなかった。当時、私の出身地と嫁いだ先がとんでもなく離れており、移動が大変であったことや介護が必要な祖父の問題や私が望まなかったことなど、いろんな要因がある。
私は「結婚式」に対して、あまりいい印象をもっていない。
芸能人の結婚式が歴史を物語っていると思うが、ゴンドラが登場したり、いかに多くの人を招待するか、など加熱していた時もあった。その頃、ちょうど私は結婚適齢期の少し前の辺りではなかったと思う。結婚式は盛大にして当たり前みたいな風潮があった。
そして「結婚は家と家がするもの」などという常識がわれわれ世代の結婚を困難にさせていた時代でもある。
まだ見合い結婚が普通にあったし、「許婚(いいなずけ)」なんて言葉も普通にあった。
今ではタブーとされる身元調査なども普通に行われていたと思う(田舎だし)
相手の家に結婚を反対されて身を投げた人もいた。信じられない時代であった。
そんな「結婚」というシステムが私は嫌で嫌で仕方がなかった。
でも私の時代には恋愛結婚が普通にあって、私も漏れなくその口にのっかろうとしたのだが、相手を選ぶまでは自由にできても、自由に選んだ分、その後の調整が半端なく大変だった。
「家柄」
なんだそれ?
うちの家の常識と相手の家の常識のぶつかり合い。
それが色濃くでるのが「結婚式」だ。
何張り合ってんだよ。平和に行こうよ、平和に。
これ、誰の結婚式?
私は何度も問うた。
しかし返って来るのは「家同志の結婚。これまでお世話になった方々をお呼びして、お礼を言う機会。友だちは後まわしなの?親戚、両親の知り合い、勤務先の偉い人・・・」
もうくたくたになった。
結婚式がきっかけで、結婚しようとしていた人とも上手くいかなくなり、相手の両親のことも嫌いになり、自分の両親のことはもっと嫌いになり。
25歳。もう二度と結婚なんて考えるもんか、と思った。
両親は私の幸せを願っていないと思い込んだ。
一人で生きていってやると思った。
(このころから我が道をいくスタイルができてしまったように思う)
そして月日が流れ、心優しいうぉんばっとみたいな人を見つけた。
今度は絶対に荒波をたてずに「2人の結婚」をするんだ、と思った。
どっちもが田舎の家。夫の家の方がもっと田舎だった。
結婚するとなったら一大事。親戚、近所の人、夫の関係者だけで軽く200人。
とんでもない風習だ。
これは文化の衝突を避けられない。
私はこちらに嫁ぐから、こちらのルールに従う。
私は私の家のルールを放棄したかった。
もう絶対に邪魔させはしない、と硬く心に誓っていたのである。
私は家族を結婚式には呼ばなかった。
私は結婚を機に「家を捨てる」覚悟をもった。
両親はおそらく「またダメになるだろう。すぐに離婚して帰って来るだろう」と思っていたことだろう。
私は結婚後、こちらの家のことについて我が家の常識を持ち出しトラブったことはない。
いや、うちの実家の母は「非常識だ」と怒ることが度々あるのだが「馬耳東風」
ばあちゃんが「結婚式を悔やんでいる」などとまさかの言葉を言ったので、少し動揺してしまったが、それについては「本当にごめん」と謝った。
そして実家の母にも「申し訳なかった」と謝った。
でも私は後悔していない。これでよかったんだ、と今でも思っている。
結婚式に私の関係者も全員呼んでいたらどうなっていたんだろう?と時々思う。
事あるごとに「あの時の非常識」を持ち出されて、嫌な思いをしたのではないか、と思ったりもする。
私は自分の家を断ち切れず、幸せになれなかったかもしれない。
誤解されたくないのは、私は今、実家と良好な関係になる。それはほどよく距離を取ったからだと思っている。
こっちの家に私の常識を持ち込んだ途端に「不和」が生じていただろう。
結婚は「修業」
私は修業の場としてこの家を選んだ。
親から巣立ったのだ。
私は親に最大級の親不孝をしたので「親になること」をさせてもらえなかったのかもしれないなとも思う。
最近、近所の若者が結婚した。近い親戚であったけれど、知らせはこず、まちの広報誌で知った。
両親への挨拶は入籍後だったらしい。結婚式もしないらしい。
われわれの時代には「結婚」にあこがれていたのか、「結婚式」にあこがれていたのか分からないようなところもあったが、今の若者はいたってドライ。
結婚しない人も増えている中、めでたいなぁ~と思った今日このごろ。