夢をつかむ! 071_20241122
いい夫婦を演じる
1122(いい夫婦)の日が始まったのはいつからか。
独身の方には関係ない話じゃないか。
自分が独身だったら、「ちぇっ」て思うかもしれないな。
それでも私はあえていい夫婦の日の記事を書こうと思う。
それは自分が結婚をしてみてよかったからだ。
私は結婚は人生の修行だと思っている。
これほど人に合わすことが困難な修行はない。
仕事の人間関係?
そんなの結婚生活で相手に合わせることを考えたら、束の間の我慢じゃないかと思ったりする。
私は結婚して、他人と生活をともにするようになって、自分の思う通りにならないことだらけで、たくさん我慢することを覚えた。
譲り合ったり、優しくしてみたり。
逆に、この人だけは自分を理解してくれているという安心感も得た。
職場やほかの場所で人に嫌われるようなことがあっても、家に帰れば夫がいる。この人だけは私のことを嫌ったとしても嫌いになりきることはないのではないかと思う。
決してのろけているわけではない。
大人になってから他人と住むということは、自分の価値観だけではどうにもならなくて、広げるしかなのだ。許容、受容、妥協、交渉、我慢、感謝。
夫婦は一方通行ではない。
相手もきっと不便さ、不自由さを感じていることだろう。
でもそれがいい。
人生は修行なのだから。
幸せな気持ちというのは、何もないところには生まれない。
もちろん何もなくても幸せな環境は存在する。
しかし、人は幸せな環境には気がつきにくい。
案外、浮き沈みのある環境の変化にこそ、幸せを感じやすいのかなと思う。
結婚は常に幸せな気持ちではいられないからこそ、刺激もあり、面白い。
喜怒哀楽が詰まった環境が、人間の感情を豊かにし、人生に潤いを与えてくれる。
いい夫婦である必要はない。
いい夫婦でいようと思うことが大切だ。
いい夫婦を演じているうちに、本物の夫婦になっていくんだろうなと思う。
最初からいい夫婦なんてあるわけがない。
共に荒波を渡り、ぶつかり合い、許し合い、譲り合い、いろんな感情が生まれては消える、この世を去るときに「いい夫婦」であるように努力したなと思えたらそれでいい気がしている。
<1年前の”種まき日記”>
昨年「いい夫婦の日」に私は一人旅に出たようだ。いいな、東京。
<2年前の”つれづれ日記”>
「善い行い」か。私は誰かのためになっているだろうか。
意識しなくてもちゃんとできているだろうか。
反対に人に善くしてもらったこともずっと覚えていたいものだな。
50年後でもちゃんとお礼を言える人でありたい。