【雑談】ファンという考え方
今月のnote投稿はいつもより短めかつシリアスな話題になります。来る8月に行われたサッカー天皇杯にて浦和レッズの一部サポーターが暴徒と化し、来年の天皇杯出場権剥奪という厳罰処分が下るという形に。また先のジャニーズ事務所に関するSNSでの動向など、ファンの言動が改めて注目されてしまっている現状。SNSで簡単に思いを共有出来る今だからこそ、私なりのファンとしての在り方とは?を考えてみようと思う。
そもそもファンとは?
まず初めにファンとはどういう意味なのかをWeblio辞書によって検索してみた。
リンクの見出しは適切ではないが、要約抜粋すると”楽しみや喜びを感じること、またはそのような状況や活動を指す英単語である”と記載されている。またページ下部には”スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき”と記載されており、Fanatic(熱狂者)の短縮系であると記載されている。
主に今回は後者の意味合いが強いが、Fanatic(熱狂者)からも分かるようにファンというのは熱量を持つ者であり、どこからがファンという明確な基準がある訳ではない。
そしてこれは余談だが、昨今よく使われるようになった推しという言葉も検索してみた。
こちらは”特定の人物やキャラクター、作品、商品などに対して、熱心な支持や愛情を示す行為やその対象を指す言葉である”と記載されており、上記のファンとほぼ同じ意味だが、その対象は個人に対して使われるイメージがある。いずれも共通するのは”熱心な支持や愛情”であり、今問われているのはこの熱量をコントロールする方法ではないかと思う。
ファンの振る舞い
ではこの熱量はどうやってコントロールするべきか、コントロール出来ないとどうなるのか。
まずは冒頭部分でも触れた浦和レッズの諸問題。これは結局チームに対する熱量をコントロール出来ずに、その熱を対外にぶつけてしまったが故に起こってしまった。またプロ野球選手が直接SNSでの誹謗中傷をやめるようにお願いしたり、かつて千葉ロッテの応援団が応援行動を注意された腹いせに、味方選手の応援をボイコットする事件が起きた。
また今年アニメ『推しの子』が大ヒットしたが、作中で主人公のアイドルがファンに刺殺されるという場面があった。これは現実でもストーカー化したファンが類似の事件を起こしたりもしている。
これらの事件はいずれも熱量を間違った方向に向けた結果であると思う。人間だから仕方ないのではあるが、自らが応援・支援するという行為に対して見返りを求めてしまうが故、それが果たされない故の行動ではないかと思う。
サッカーでよく使われるサポーターという表現が分かりやすいのではないかと思われるが、サポーターという単語はサポートに接尾辞のerが付いている形で、文字通りサポートをする人という意味で使われる。そのサポートする人の行動で熱量を向けるチームや個人に対して処分を下されたり、個人に対して危害を加えることはサポートという言葉と真反対であり、はっきり言って迷惑行為でしかない。
自らの行動が愛する対象に対して応援しているつもりが危害を加える可能性があるというのを自覚したい。
熱量をコントロールする方法
ではその熱量を間違った方向に向かせない為にはどのようにしたら良いのか。ここからはその方法を考えて行きたいと思う。あくまで私個人が考察や実践していることであり正解を指定したり行動を強要する物ではないので注意願いたい。
そもそも他人の行動である
これはファンとして…というより、もはや人生としてのことでもあるが、応援をするということは、他人が取り組むことに対して自分が熱量を向けるということである。即ち他人の行動なのだから全てが自分の思い通りになるはずがないというのは前提条件として心掛ける部分。他人のことは自分ではコントロールは出来ない。
グッズ着用時は特に言動に注意
これも大きく心掛けていること。学生の時に全校集会等で「制服は学校の看板になります」という類のことを言われた人は結構居るだろう。当時はそれを疎ましく思った人も居ると思うが、結局グッズを身に着けた人の行動は心理的に”〇〇のファン”という一括りで見てしまう人が大多数である。大袈裟かもしれないが、自分の行動はそのまま評判やイメージに繋がるというぐらい細心の注意を払っている。
SNSは言葉遣いに気をつける
SNSで誰でも気軽に意見を発信出来る時代、だからこその配慮はより必要であると考える。またインスタライブやツイキャス等のライブ配信系なら表現の幅が広く伝えやすいが、X(旧Twitter)などの文字で全てを伝えるために誤解が生じやすい。その為些細なことでもキツい印象を与えやすく、何気ない一言が刃になる危険性がある。ネガティブなことを述べる時に命令口調ではなく、ですます調に変更するなど、言葉遣い一つで印象はガラリと変わる。
批判の範囲は最小限に
これもSNS全盛時代だからこその注意事項ではあるが、批判と誹謗中傷の区別がついていないケース、批判の述べ方が雑だと感じる場面は多いと感じる。ファンとして厳しいことを述べる場面もあると思うが、一歩間違えば人格否定と捉えられかねない。”悪い”だけではなく”何がどうだから悪い”と批判内容はより具体的に述べることによっても相手に与える印象は変わってくる。
複数の贔屓や趣味を持つ
これが熱量をコントロールするという意味だと最も適切かもしれない。贔屓や推し一筋という考え方は非常に素晴らしいが、そうなると何かトラブルがあったり引退したりした時にポッカリと穴が開いてしまうし、スポーツの場合だと負けた時に機嫌を損ねることもある。そういう時のストレス発散的に応援する物を複数作っておいたり、全く違うジャンルの趣味を持つことは精神的自衛にもなり、熱量を他者攻撃に向けることは少なくなるのではと思う。
その他、自分なりの熱量コントロール方法があると思う。返す返すではあるが、これらはあくまで私自身が実践・考察していることであり、正解や強要ではないことはアナウンスしておきたい。
まとめ
本来ならこのようなnoteを書く予定は全くなかったが、昨今のスポーツにおけるファンによるトラブルや誹謗中傷問題、SNS上での特定の人物・団体に対するネットリンチはあまりにも目に余る物があり、そういう物が少しでも減少出来れば…と思い急遽執筆することにさせて頂いた。
何度も述べるがファンとしての在り方を私が教授し推奨している訳ではないことはご理解願いたい。私自身も自戒の意味も込めて整理した物を執筆したつもりである。
熱量やストレスのコントロール、特にSNS全盛時代で誰しもが簡単に発信出来るだけに、余計に神経を使ってアンテナを張っておく必要があると感じる。他人に期待しすぎないこと、感情の乱れを自己完結出来る人が精神的に大人と言えるのではないだろうか。
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