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きいて

 ヴォーヌ・ロマネには、DRCの他に、忘れられない人のドメンヌがある。その人は、マダム ルロワ。ただ彼女とは、なかなか逢う機会がなかった。色々と噂を聞いていたが、両極端な話が多かった。それだけ個性の強い人なのだろう。安易に会いに行くのは避けようと思っていると、友達のジャン・ミシェル ユエさんが、個人的にマダム ルロワをとても高く買っている。彼の言葉を信じ、それならと、ランデブーを取ってもらうことにした。
 約束の日、目の前に現れたラルーからは、和らぎ以外の何も感じられない。部屋に通されすぐ、以前ジャン・ミシェルが飲ませてくれたミュジニ 1985の話になった。するとラルーは席を立ち、そのボトルを持って来て、躊躇いなく開けてくれた。ジャン・ミッシェルの言葉通り、とても寛容な人のようだ。
 雑談が進む中、馬鹿な質問だとは思いつつも思い切って、「お好みのアペラシオンはなんでしょうか」と、尋ねてみた。すると、意外にも即答が返ってきた。
「シャンベルタン 1955。」
 驚いた。まさか私の憧れのシャンベルタンの名がでるとは。しかも1955年。いや内心、「ワインはみな我が子のようだから…」という、極ありきたりの答えを想像していたので、脳天をかち割られたような気分だった。いやぁ、他の人とは全然違う。改めてラルーに魅入っていると、彼女は立ち上がり、席を離れた。そして一本のボトルを手に戻ってくると、徐に栓を抜いた。なんと、そのシャンベルタン 1955だった。そして静かに言った。
「日本では試飲することを『きく(利く)』と言うでしょう。『聞く』のと同じなのよね。良い言葉だわ。そうでしょう。ワインも聞いてあげなきゃ。ほらね、聞こえるでしょう、楽しくなる位に色々と語りかけてくるのが。」
 グラスに耳をかざし、ラルーは楽しんでいる。その前で、感動もののシャンベルタンを手に、私たちは黙りこんでいた。力ある者、謙虚にして(あの時のロマネ・コンティに)勝るなり(?)。それにしても55年とは…。とんでもないことになった。
 実はその1955年は、ラルーが仕事を始めた年だと言う。その時に彼女にワイン造りを教えてくれた恩師のシャンベルタンが、彼女の生涯のワインとなった。「それがこれよ。」
 50年の時を経て、今、ラルーのグラスの中で輝くシャンベルタン。正にラルーそのもの、映えている。その50年の輝きを、奇しくも私が省みる。偶然とはいえその縁に、ちょっと震えがくる。何故かは、ご想像にお任せしよう。

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